統合的な把握
現在のコロナウィルス対応は、課題の全体把握ができないまま行われているように思える。
マスコミの報道は、毎日の感染者数、死亡者数、重症者数等の発表にとどまり、緊急事態宣言にこだわりすぎている。
コロナウィルスのまだわかっていないところが多いため、社会的な接触を減らすことばかりに目が行きがちである。
しかし、わからないところが多くても、感染者が増えてきて、入院の必要が出てくれば、病床の確保が必要である事は、早い段階でわかっていたことである。そのための10兆円の予備費など財政的な対応はとられていたのであるから、ニューヨーク市長のように野戦病院のようであっても病床を確保することができたであろうと思う。
日本の対応の姿は、安心して暮らせる家を作ることに例えるならば、次のようだ。
社会的な接触を減らす事は、重要なので、あたかも窓枠を作って外を見ることが大事なんですと言っているように思える。
しかし窓枠だけを作っても意味がない事は明白だ。多少屋根の傾きが充分でなかったり、壁の1部が欠けていたとしても、まず中で生活できる家全体を作ることが大事なはずだ。
これだけは分かっているからといって、1つの課題(シングル・、イッシュ)だけ外に向けて示す事は、全体の対応をゆがめてしまう。
課題の統合的な把握と言う観点からは、コロナをどのように捉えるかと言う専門家の見識も問われる。
コロナはわからないことが多いことから、わからないところは全く記述せず、自分がわかっているところだけを捉えて、42万人が死亡するとか言う事は、あまりにも単純すぎると思う。
東アジア全体の感染者数が少ない理由(ファクターX)や、従来のインフルエンザがコロナ禍の中で感染者が減っている理由、などの説明も含めた全体的な説明が求められる。こうした説明は、1部の学者が行っているだけだ。学術的にまだわからない事は一切触れないと言う態度ではなく、わからないところについてもどのような可能性があるのかを含めて、専門家は現在の状況を把握するべきだ。わからないところを断定してしまって説明する事は問題もあると思うが、統合的な把握を心がけるのであれば、1つの仮説として組み立てていく必要はあるだろう。