ドラッカー
ドラッカーは、「日本美術の特色は、概念ではなく知覚、写実ではなくデザイン、幾何ではなくトポロジー、分析ではなく統合である」とする(「日本画の中の日本人」35頁)。
この表現自体が、繰り返しであり、描写的・分析的だと思うが、簡潔に言うならば、対置される西欧が、物事を分解し、詳細な説明を付け加えていくスタイルであるのに対して、日本は、存在するある事柄を、それ自体として把握するスタイルであるという意味であると思う。
この結果として、西欧の書籍は、分量が膨大になっていくのに対して、日本では、俳句、短歌など、分量を省く世界がある。
ドラッカーは、日本美術および日本人の特性として、両極性を指摘する。これは、両極が別々にあるのではなく、両立し、かつ、両立による緊張もあるとする。
このことは、人間であれ、物事であれ、その中に展開があるならば、一つのものとしては両極になると言うことだろうと思う。
この文章の展開も、日本人であると自覚する私は、統合的に書いていると思う。私は、書籍が膨大になること自体について、限られた人生の中で、好ましくないと考えている。膨大になればなるほど、知覚できないものになるとすら思う。少なくとも、実行の時間が奪われる。