C6 絶対受容の精神
私は、結婚において、運命の人がいるとは考えていない。誰でもが、誰とでも、結婚生活を送ることができると思う。こう言ってしまうと、家内は怒るかもしれないが、結婚25年(銀婚式)を超えた身としては、それが実感なのだ。
人は、結婚に向けて、運命の人を探し、多くの人の中から1人を選択したと思うのかもしれないが、その選択にどれほどの意味があるのだろう。
もちろん、この人との結婚では先が思いやられるという人はいる。無駄な苦労を背負い込む必要はないとは思うから、除外すべき対象があることは否定しない。
しかし、そこをクリアすれば、その先の選択はそれほどの意味はないように思える。現代の多くの人は、選択に力を注ぐあまり、前に進めておらず、そのことの方が人生にマイナスの影響がある。
そのそも、私から見て昔の人は、結婚式を挙げるまで、結婚相手に会ったことはなかったというケースもあったと聞く。それでもちゃんと結婚生活を営んできたのである。周囲の人が、この2人ならば良いだろうと考えて引き合わせ、本人達も周囲の人を信頼したのだろう。
「そんな結婚なんて到底無理。」と思う前に、自分の選択の力を考えてみるべきだろう。
また、結婚した後に、現実にいろいろな場面に遭遇し、そこをどのように生活していくのか、その時々に、過し方を考えるべきだろう。
相手に何かを求めず、自分でできることを行ない、人生を組み立てていくことを考えるべきだ。これは絶対受容の精神と言って良いもので、「それだと損をする。」と思う人が多いかもしれないが、はるかに得るものが多いと思う。