C12 現世志向に基づく展開
「寺詣でが本来の信仰の意義を失って、ピクニックのような行楽になったのは、江戸時代からであろうが、その起源はさらに古くからあるらしい。(中略)こういう態度で寺院や僧侶に接するのは、一般に、日本人が宗教的体験を内面的実質的に求めようとせずに、形式のうえで把握するという態度から来ているように思われる。」(日本の仏教、渡辺照宏 135頁)。
しかし、私には、このような「形式主義」に理由を求めるよりも、日本人の現世志向に理由があると思える。
歴史的に浄土信仰があったとされる。平等院鳳凰堂などが、その例として示されるが、本当に来世のことに重点を置いていたとは思われない。
まして、貴族でない一般の人間にとっては、現世のほうが重要であったと思われる。
このことは、蓮如の御文章(1帖目8通、1帖目5通)からもうかがわれる。
人々が現世志向となったことにより、宗教も「現世志向」となる。