A4 評価を受けるということ
中学1年生のときだったと思うが、学校の書道の授業で漢字1字を半紙に書き、表装する課題が出た。書道の先生は、当時の学校の校長先生にあたるポジションにあり、高名な方であり、現代書道家でもあったと思う。私は自宅で何十枚も書き(ひょっとしたら百枚以上)、1枚だけ、「これは!」というものができたのでそれを学校へ持参した。
私が選らんだ字は「耐」。自分でも普通は選ばない字だと思いながら、しかし、いろいろな字を書いてみた中で、墨のボリュームが出て、それでいて勢いもあり、字画のバランスがぎりぎりのところでとれた唯一のものだった。
私は、小学校の低学年から中学年にかけて、毎週日曜日、3年程、書道塾に通っており、それなりの訓練は受けていたので「耐」は自信作だった。
学校では、少人数のグループごとに、まず1点を選び、全体で10点ほどが教室の前に掲げられた記憶である。
私の自信作も選ばれ、選べられた後、皆がいろいろと意見を言った。
ところが意外なことに、私の自信作について評価する声は皆無であり、「道」だったと記憶しているが、同級生の書いた、少し大人っぽい作品に評価が集まり、それ以外に何点か評価された作品も私のものではなかった。私は、自分の意見を言えないままとなってしまった。
先生は、自分の意見は出されないまま授業は過ぎ、最後になって、私の作品「耐」は、なかなか良い旨をコメントされた。
自慢めいたことを書くのは私の意とするところではないが、先生は、本当に淡々と私の作品についてコメントされた。この結果、授業が終わってから、同級生も、「へー、そうなんだ。」と私の作品にコメントしてくれた。
この一連の流れは、私には衝撃だった。「評価を受けるということは、こういうことだ。」と感じとった。
世の中の素直で率直な評価、自分の信念、自分のサポーターなどが織りなす、硬直そうでいて、流動的な状況を身にしみて感じた。