C1(10) 抽象化の中で起こる誤解(具体と抽象)

 徳永英明のコンサートに先日出かけ、レイニーブルーを初めて聴き、良いなあと思い、車の中でも聴いている。作詞は、大木誠。
 別れを扱った歌詞であるが、世の中にはいろいろな別れがあって、人それぞれに別れを想い起こすのだろう。
レイニーブルーという言葉が、どの程度の落ち込んだ気持ちを表わしているのか詳しくないが、終わりの熱唱を聞くと、大きなもののようにも思える。
 歌詞には、「帰り道」、「交差点」、「あなたの白い車」などがあり、その連想や、終わりの熱唱の感覚からは、事故死という別れもありうるのだろうかと考えてしまうが、歌詞を正確に理解するならば、それは誤りだろう。「事故死だったら、普通、あのような思いは抱かない。あたりまえじゃない。」と言われそうだ。
 ある具体的な別れが、歌詞になることにより、抽象化が始まる。抽象化の中では、誤解も生まれる。抽象化により、いろいろな人の思いを乗せることができて、広がりとなる。広がりの中から、多くの人は、自分の「具体」へと戻ることもあるだろう。
 具体と抽象を自由に行き来する中で、客観視もできるだろう。
 美術の世界の、具体と抽象にも共通するものではないかと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink