現代美術は、なぜマイナーか?

現代美術は、少なくとも日本では、マイナーだといっていいだろう。
現代美術は、楽しめないところがあるのが原因だ。逆に、楽しめる現代美術は、人気がある。
多数の人が楽しめる美術は、おもしろくない人も多いだろうが、少数だろう。

多数の人が見る作品とは、第1群としては、日本では、ある程度、評価された作品だろう。
いわゆる有名な作品は、有名ということで、多くの人が見る価値があると考えるため、列ができる。

多数の人が見る作品の第2群としては、ぱっと見、分かり易く、きれいであったり、技巧が超人的であったりするものだろう。かわいらしく、また同時に、気持ち悪い(かわきもい)など、そのときどきの流行もあるだろう。

現代美術は、多くの人よりもさらに進んだ先をを提示するべく、格闘したものであると思う。マイナーであることを恥としない。
しかし、それが本当に先を進んだものであるかどうかは、わからない。多くは、泡のように消える。それで生活ができればよいが、そうでない場合、どうするか深刻な問題となる。
このため、多数の人が見る作品の第2群に擦り寄ることを考える人も出てくる。(第1群は、結果であり、いきなりそこに至ることはできない。)
私は、そうすることを否定しない。確かに、真に分かる人からは、見破られるだろう。しかし、多数の支持があれば強い。
現代美術の作家は、真に先に進んだところと、多数の気付きとの間で、身を削ることになる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年05月22日 | Permalink