14 印象主義
3(1)エドゥアール・マネ(1832ー1883)は、富裕なブルジョア階級の家庭の長男として生まれた。父オーギュストは、法律家を輩出した200年来の旧家の出で、司法省の高級官僚であり、マネが画家になりたいと言い出したとき、猛反対した。しかし、息子が法律家になることはなさそうだとあきらめ、海軍士官への道を勧めた。ところが、マネは、入学試験に失敗し、再試験に必要だった練習乗船勤務のためブラジルへの半年間の船旅を経験するうちに、かえって画家になる決心を固めてしまった。
マネは、1848年、ついに父を説得し、当時人気絶頂の画家、トマ・クチュールのアトリエに入学した。
マネの母ウジェニーは、ストックホルム駐在の外交官の娘であり、マネの精神的、経済的な支えだった。
3(2)イレール・ジェルマン・エドガー・ドガ(1834ー1917)は、裕福な銀行家の長男として生まれ、父が芸術を愛する趣味人だった影響を受けてか、名門リセを出るときには、すでに画家を志していた。
(3)ジェームズ・アボット・マクエール・ホイッスラー(1834ー1903)は、アメリカに生まれたが、父の仕事の都合で、9歳のとき、ロシアのサンクト・ペテルブルクに移住し、そこからイギリスに留学した。幼いときからデッサンに優れ、はやくから画家を志した。14歳のとき父が急死し、一家はアメリカに帰った。
(4)モネ(1840ー1926)
特になし
(5)ルノワール(1841ー1919)
特になし