17 ナビ派
1(1)ピエール・ボナール(1867ー1947)は、20歳のころ、画塾アカデミー・ジュリアンで好きな絵を描きながら、大学では法律を学んでいた。学業優秀なボナールは、卒業後登記所で働き出すが、絵を志す仲間たちと語り合う楽しみは何ものにもかえがたく、24歳のとき、登記所を辞め、父の許しを得て、絵を仕事とした。
56(2)エドワルド・ムンク(1863ー1944)は、5歳のときに母が結核のため33歳で死ぬと、献身的な医者でありながら神経症の気味があった父が暴力をふるうようになった。家族の世話をしてくれていた叔母のカーレンが、ムンクに絵の楽しさを教え、16歳のとき、父の反対を押し切って画家になる決意をした。
3(3)ジェームズ・アンソール(1860ー1949)は、父がイギリス人で、観光客向けの土産物店を経営し、母がフランドル地方の旧家の生まれだった。ベルギーのオースランデは、イギリスへの海の玄関口であり、海水浴客が集まるベルギー有数の保養地であり、カーニバルでも知られる。
3(4)トゥールーズ=ロートレック(1864ー1901)は、家は古くは十字軍にまでさかのぼる系図をもち、父は伯爵の称号を継いでいた。父と母は従兄妹同士で、上流社会にありがちな近親婚だった。ロートレックは、遺伝性の骨の病をもって生まれた。