なぜ外国の人形はかわいくないのか?
日本では、「お人形のようだ」という言葉は、かわいいという意味で使われる。ところが、欧米の人形は、顔は月並みで無表情、服装も普段着というものが多い。このような指摘は、新聞でもなされたことがあり、気がつく人も多いだろう。
この点に関して、欧米では、人形は、共に泣き、喜ぶ、自分の分身であり、そのために人形の顔は、時には笑って見え、時には泣いて見える無表情がよく、服も普段着が良い。これに対して、日本では、願望を自分に代わって実現してくれる憧れの対象であり、そのために人形の顔は、笑みをたたえ、足が長く、お出かけ着となる。
このような違いから、子供の教育への影響を考える展開がなされるが、ここでは取り上げない。
私は、日本と欧米の違いとして固定化する必要はないと思うが、この2つの見方は、アートに対するとらえ方の違いとして表われているように思う。
アートは、「絵になる」風景・対象を、技量をあますところなく示して、美しくとらえることなのか、何らかの追体験を通じて自分・他人・環境に気付くことなのか、という問題意識である。どちらが優れているうんぬんを議論するためではなく、割り切ると2つの見方ができるということである。
現代美術は、この観点から考えてみても良いと思う。