C1 人生の段階

 自分なりにアートを紹介しようとしたとき、自分の人生の中での節目に関連づけてアートを選択することになる。
 30代の彷徨       森山 33歳
              大竹 38歳
              赤塚 39歳
 40代の悩み       ブッフェ 40歳
 50歳を目前にした挑戦  草間 49、50歳
              オピー 47歳
 50代の進み方      アペル 58歳 27歳でコブラ結成
              ジル・サックシック 56歳
 老境           ブラック 80歳
              森    71歳
              アルトマン 65歳


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B11 ぶたさんコレクションについて

・ぶたさんを見ていると、本物に近い形のもの(リアルぶた)から、2つの点で展開されていると思います。 
 1つが抽象化であり、もう1つが人間化です。 
 抽象化や人間化もいろいろな展開があります。
 また、抽象化と人間化は、混合して展開しているものもあります。
・2つの展開とは別に、わかりやすいグループ分け(差別化)をしてみました。
・まとめると、以下のとおりとなります。
0 リアルぶた
1 抽象化
(1)表情の消し込み(形態の徹底)
(2)鼻の強調
(3)全体の丸化(形態の省略化)
(4)丸化以外の抽象化
2 人間化
(1)形態の擬人化
(2)表情の擬人化(笑う)
3 差別化
(1)ブランド
(2)チャイナ
(3)羽根付
(4)二重化(面を含む)
(5)ゴージャス
(6)豚に真珠
(7)フラット
4 標準ぶた
 何かを特に徹底していないもの


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B10 松浦武四郎の一畳敷(泰山荘)

石山修武「セルフビルド」79頁より
 この建物は、武四郎が木片勧進の旅の末に集めた全国各地の社寺仏閣の木片、つまり建築の部品を集積した建築である。
 集めた木片は、厳島神社、伊勢神宮、出雲大社、吉野山後醍醐天皇陵、京都大徳寺、奈良法隆寺等々からであり、91項目およそ127部品全て木片の由緒は知れるものばかりとのことである。
 武四郎は、幕末から明治を生きた探険家であり大旅行家である。
 武四郎は、晩年をこの一畳敷で住み暮らし没したといわれており、各木片に触れ眺めるだけでその地の風景が手にとるように想い起こされたであろうと思われる。
 この心情は、旅先で見つけたもの(多くは温泉地の松ぼっくり、落葉)を集めた者としてわかる気がする。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B9 前川弘美が、拾ってきたもの(メモ)

 旅行した先などで偶然見つけた気に入ったものを、1つの箱に並べていくことは、非常に心地良い。この作業は、ある作品を見るときに、自らが行うべき「埋め」の行為そのものかもしれない。
 それは、ジョゼフ・コーネルが、箱の中に組み立てたコラージュの作成に似ているかもしれないし、リチャード・ロングが、石や木を集めて作る作品に通じるものがあると思う。
 松ぼっくり(小)
  坂巻温泉旅館 露天風呂に落ちていた。
 松ぼっくり(大)
  天橋立ウォーク
 竹
  直島
 分岐した木 
  名剣温泉から祖母谷温泉へ向かう道中
 とがった種子 
  川中温泉から川原湯温泉へ向かう道中(記憶)
 葉 
  不明
 四天王(私はこう呼んでいる)
  小瀬温泉ホテルで見つけた、4個の松ぼっくりが長い枝にくっつくもの
 大きな葉
  小谷温泉から帰る際、バス停まで歩いた。冬季は、途中までしかバスが来ないため。バス停でふと見つけたもの。
 椿の葉
  中村公明の日本料理店で出された膳にのっていたもの。
 四天王(2)2010/4/4
  アートランドホテル蓼科で見つけた、4個の松ぼっくりが長い枝にくっつくもの
 ペア 2010/4/4
  アートランドホテル蓼科で見つけた、2個の松ぼっくり
 たいまつ 2010/6/6
  滝ノ水のイタリアレストランの近くで見つけた、名称不明のもの
 緑色の石 2個
 銀色に輝く石 2個 2010/8/9
  分杭峠の水場やその近くで拾ったもの。沢には緑色の石が多かった。地質の異なる地層がぶつかり合う中央構造線上にあるということで、2種類の石を持ち帰った。
 丸いどんぐり 2010/8/16
  相差の神明神社に行った際、鯨崎遊歩道で見つけた。
 紅葉の葉 2010/10/10-10/11
  中房温泉の庭園
 紅葉の葉(大判)
  中房温泉白滝の湯への道
 柏のような葉
  中房温泉菩薩の湯に浸かっていたもの
 緑色のどんぐり(熱湯防虫)2個
  中房温泉の庭園
 茶色のどんぐり(熱湯防虫)1個
  中房温泉菩薩の湯注ぎ口(熱湯)の中に落ちていたもの
 何かの実が入っていた小さな殻 10個
  焼山への道で見つけたもの
 黄色いもみじ 大小、各1 2010/11/6-11/7
  宮島水族館前、メープルの木で拾ったもの
 松ぼっくり(中) 2010/11/23
  名古屋大学前で拾ったもの
 Y字の枝(斜めの足付) 2011/7/2
  初谷温泉 宝命水の近くで拾ったもの
 くの字の枝 2011/7/18
  カラマツの松ぼっくり
  高峰温泉近くの池の平湿原で拾ったもの


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B8 記念の集積

 温泉地など旅先で偶然に見つけ、何かしら気に入った自然にあったものを持ち帰る。そのものを簡単に記録し、1つずつ透明な箱の中に置いていく。
 持ち帰ったものは、一葉の落葉もあり、いずれはくだけてしまうであろう。そのときどうするかは特に決めていない。取り除いても良いだろうし、土のように積んでいっても良い。
 持ち帰ったものは、固定しないため、箱を動かすことにより移動するであろう。それも良い。
 箱の中に入れるのは、前川弘美に限定されない。誰でも良いだろう。
 箱の中の様子は、ときどきに写真に撮って記録しても良いかもしれない。
 こうして存する箱は、自然に雰囲気を醸し出す。
 それはアートでないかもしれないが、味わえる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B7 2011年7月2日 セゾン現代美術館の展示作品に古さを感じてしまった。

 この感覚は、清里現代美術館でも感じたものだ。
 原因は、作品の片寄りにあると思われる。
 1940年代後半から1960年代のアメリカにおける抽象表現主義の影響下にある、ネオ・ダダ、ポップ・アート、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートの作品は、それが色を伴ったものでも、全体的にくすんで見えてしまうからである。ほこりっぽさ、ざらつきなどを感じてしまう。
 現代美術といっても、すでに多くの時間が流れており、1つのくくりにすることはできない、現代美術の中でも、上記に流れとは別に、具象絵画のスタイルをもつ新表現主義の流れもある。
 さらに、自分と同時代の作品に見られる洗練と呼ぶべき現象もある。
 現代美術の中にもいくつかの変化があるのに、その中の1部に集中して収集してしまうと、どうしても同時代性に欠けるように思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B6 大西康明(1979ー )体積の裏側

 大西康明の作品を「彫刻」であると見るならば、「近代彫刻において重要とされる概念「重量感」「動勢」「形態」などが独自の方法で読み替えられているのが分かる。」(中村史子)(7頁)と言うこともできるだろう。
 しかし、ポリエチレンシート、垂れた接着剤、扇風機などは、重力が作用する空気のある空間を意識させるものであり、自然法則をそのまま感じさせるものである。また、垂れた接着剤の材質には科学の成果が込められており、科学への親和性を感じさせる。
 「体積の裏側」という題の付け方は、彫刻の文脈の中に作品を位置づけようとする意識の現われであろうが、私には、科学の成果に基づいた自然法則の具現であるように思われる。その意味で、作家が「一般に造形化しづらいもの―現象や気配とも呼ぶべきもの―を浮かび上がらせようとする」(中村史子)という点は、そのとおりだと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B5 森山大道(1938ー ) stray dog,Misawa

 この犬を自分と見るのか、相手と見るのか。
 体はどっしりした感じで、後ろを振り返りながら、上目使いで、こちらを見ている。口が少し開き、歯も見えている。
 森山大道は、「その目つきから全身に至るまで、野良犬の、内奥にひそめた敵意と相対する哀感が、あたかも見るものに挑発を送ってくるがごとき気配で伝わってきた」とする(朝日新聞2009.4.30記事)。
 この記述からは、森山大道は、相手と見ているようだ。
 しかし、その姿は、そこに自分を見るように感ずる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B4 波打ち際

 美術史の本でとりあげられる絵(いわゆる著名な絵)としては、波打ち際の絵は見かけない。
 森芳雄の絵「ノルマンディー(北の海)」を購入したとき、彼の重要なテーマであった人物にするかどうか迷った。
 人物の方が森芳雄らしくて良かったかもしれない。
 しかし、波打ち際の海の絵も、人物と同様に、見る人に考えさせるものがある。

ノルマンディー海岸
ジュルジュ・ブラックは、青春時代をル・アーヴルとあのノルマンディー海岸で過ごす(「ジョルジュ・ブラック」15頁)。
ノルマンディーは、いろいろな点を結びつけるだろう。調べていけば、何かが見つかると思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B3 カレル・アペルの作品 1979年 Untitled 

(1)見ていると、いろいろ発している。
「イェーイ!」「やったー!」
「芋虫になっちまったぜ。」
「オーマイガッド!」「なんということだ!」

(2)ダンサーであることは、ほぼまちがいないと思う。
 1978年に「二人のダンサー」が、Untitledの前にある。「二人のダンサー」は、2人の黒人ダンサーのように見える。これに対してUntitledでは、白が広く使われていることから白人のようでもあり、背後の黒に着目したり、黒い線を意識すると黒人のようでもある。
 こんなことは、どうでも良いことのように思うが、考えたこと・発見したことを記述すると、こんなことがあるということである。
 Untitledは、何枚もの紙片が接合されている(コラージュ)。何枚あるのかわからない程、全体に接合されている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink