B2 シュル・レアリスムス展

 岡崎市美術博物館で、シュルレアリスムス展(謎をめぐる不思議な旅)、名古屋市美術館でダリ展(創造する多面体)があり、両方を見た。
 ダリは、若い人に人気があるのかなと感じた。
 シュルレアリスムスの「シュル」=超のとらえ方、説明の仕方は、担当者によって様々だと気がつく。「レアリスムス」=現実は、直観的に、今、生きている世界とでも、皆は理解するのだろう。しかし、「シュル」は、その現実を超えた別世界と見るのか、その現実を突きつめた姿と見るのか、絵から受ける印象とのかね合いで、いろいろな説明ができるのだろう。
 こうした説明は、一応、それぞれ理屈が通っているように思え、説明をきくことで、それぞれの人は納得しているのだろう。
 しかし、どうも同床異夢とでもいうべき状態で、両方の説明をきくと違和感を感じる。それでも、両方の癖を埋めるだけの「統一理論」は私にはできなかったが。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

B1 アート作品について網羅的に語ることはできない。

 語るとすれば、美術史となる。
 アート作品について語ることができるのは、実際に自分で見て、発見したことに限定されると思われる。
 人生についても網羅的に語ることはできない。
 語るとすれば、歴史となる。
 人生について語ることができるのは、実際に自分で見て、発見したことに限定されると思われる。
 アート作品と人生とは、パラレルであり、相似の関係にある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

A21 前川宗睦(1986ー )に見る展開(理屈っぽく書くとこうなるけれども自然に)

1 自分で自分の存在を確かめる最初の方法は、自分に触れてみることだろう。
  私たちは、自分の視覚を同時に利用しながら、自分の外界の物に触れてみて、得られた自分の感覚を積み重ねている。その感覚を利用して自分に触れてみることにより、自分の存在を確かめ、自分を想定する。
  自分の視覚が及ぶ範囲は、眼と手で自分の存在を確かめられる。
  視覚が及ばない所は、鏡を利用することもあるだろうし、カメラを利用することもできる。
  しかし、自分の体の中は、ただちに見ることはできない。皮膚の上から触れることにより、骨格の1部は確認することができる。
2 自分と外界は、皮膚を境界として接している。
  しかし、皮膚は、自分の外から見ることはできるが、自分の内から見ることは、困難である。
  したがって、自分で自分を見るとき、本来は「こちら」にあると思われる自分は「あちら」に存在する。
  自分の存在を確かめるために、「あちら」に存在する自分の表層をトレースすることになるだろう。
3 自分で自分を見るときに、自分は「あちら」にあるが、自分は、やはり自分であって、「こちら」にあると考えるだろう。
  それは、誰しも人間についての学術的知識があるため、その影響があるだろうと思われるが、自分の脳は、本来的に、自分は自分と思うのだろう。
  このため見ることができる表層だけでなく、自分を階層的に理解し、自分をとらえるだろう。
4 視覚は、対象の形と色、対象との距離(起伏)によって判断する。
  触覚は、対象の起伏によって判断する。
  したがって、自分の存在を確かめるための方法として利用する視覚と触覚は、対象との距離が大きな意味をもつ。
  しかし、対象との距離を把握する距離感ほど不確かなものはないだろう。
  自分が、自分だけでなく、外界を広くとらえるとき、距離感は、大きく揺れ動き、変容する。距離感は、脳の問題だと考えると、無限に変容すると言って良いだろう。
  自分が自分の存在を確かめるときに感じた「あちら」と「こちら」の関係は、外界を広くとらえたときにも感じるだろう。外界だと思っていたものが、実は、自分の内側から見た姿かもしれない。「あちら」と「こちら」の間は、確定的にとらえにくいと思われる。
5 距離感について、普通、視覚が中心になってしまうが、触覚も意識したとき、新しい変容が生じてくる。それは起伏のイリュージョンと言っても良いものだと思う。「眼で触れる」、「手で見る」という、言葉の遊びではないとらえ方の世界がある。それは脳の世界なのかもしれないが。
  あちらとこちらの間について、それは変えることができるのだという感覚を提示したい。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

A19 池田亮司(1966ー )

 数学とアートの関係について、数値・数式に基づく客観的な説明ができるのかどうか私にはわからない。
 +/―[the infinite between 0 and 1]に記されたいろいろな人の文章を読んでも、客観的な説明、対談があったといえるか不明である。
 むしろ、端的にベネディクト・グロスの次の言葉に全てが表現されているように思う。
「きっと数多くのフランス人数学者がこの展覧会《V≠L》を観に来ることでしょう。美術館で数学を観たいからというだけでなく、それがなによりもクールで格好いいものだからです。」(84頁)
 この言葉は、数学者でない人にとっても同様だと思われる。
 ベネディクト・グロスは、「アートという領域の境界線と数学者が立っている領域の境界線は、あちこちで接しあっている」旨を述べる(81頁)が、「接しあっている」というのは、たぶんに比喩的な表現であって直観的なものであると思われる。
 アートの立場から言えば、このような直観に基づく数学への敬意が、「クールで格好いい」と感ずることの理由だろう。
 そこには、数学を含めた科学への親和性が認められる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

A18 バスキア(Jean Michel Basquiat)(1960ー1988)

 誰でも書いているようにも見える。
 描こうと思えば描けそうな絵にも思えるが、描けないのだろう。
 バスキアの作品を全体として見ると、意図して実現したものではない。天性の筆の動きからくる強さを感ずる。
 しかし、その作品が何億円という金額で取引されていることは、作品とは別の世界の話と言うべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

A17 ジュリアン・オピー(1958ー )

 ジュリアン・オピーは、イギリスの現代美術作家であるが、日本のオタク文化の影響を受けていることは指摘されており、それは作品集を見れば感ずるところである。
 しかし、私がオピーの作品を見て一番感ずるのは、美術館に整然と並べられた姿ではなく、仕事場の中や日常の活動場面の中に置かれたときの生き生きとした感覚である。
 私たちは、美術品を、高価なものとして、厳重な管理の下に、厳かに見るものとして教育を受けてきた気がする。しかし、私たちの仕事場は、いろいろな物が交錯して置かれた活動の場であって、その中でいろいろな人が動いている。そのような場に合った作品が求められると思う。
 日本では印象派の絵が人気があると思うが、今の自分の仕事場に置けるか(とても購入できないけれども)と考えるとずれを感じてしまう。
 私は、ある日、道路工事の横を車で通り過ぎたとき、工事中であることを知らせるために、電光掲示板が置かれ、その中に登場して旗をふっている人の動く絵を見た。そのとき、以前に見たオピーの電気的に動く作品が思い出され、「ああ、この感覚。」と感じた。
 仕事や人が交錯する中での作品として注目している。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

A16 赤塚一三(1956ー )

 「樹木や草花、山や大地は分けがたく溶け合っていわゆる具象とは距離がある」(川上實)と評されるように、もやもやしたところがあるのは確かだと思う。
 赤塚の「サン・ネクテールの春」を見ても、道なのか樹木なのか雲の影なのか、残雪なのか植物の芽吹きなのか光の輝きなのか、など流動的ではっきりしないところがあると思う。
 赤塚は、「見えるようにではなく、在るように描きたい」というセザンヌの方法を信念としていることから、そこに在るものを、先ず自分の中に移し、それをキャンバスに表現するというプロセスをとると聞く。「いも判」にも似た「赤塚判」とでも言ったものだろうか。
 したがって、空間だけでなく時間も「赤塚判」には彫り込まれているように思う。 「筆を進ませる度に画面の上に現れる一つ一つの扉を開けるような、描きながら何かを探している表現」(廣江泰孝)というとらえ方は、的確だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

A15 伊津野雄二(1948?)の木彫刻

 彫刻は、絵画よりも空間を必要とする。この結果として、空間に対する影響力は、大きなものがある。
「eyes 母子像」と題する作品は、母子の間に、緊張感がある。2人の視線は、母の眼の位置が、子より少し高い。子は、遊離したように、背伸びして、母と向き合っている。
対になる作品として、母がひざまずき、子と向き合うものがあるが、そこには、緊張感が薄い。
子は、背伸びしてでも、親と向き合いなさいというメッセージを強く感じる。
母子像は、通常、母子が一体となり、母が後ろから寄り添うものや、向き合っていても母が子を包むものが多い。しかし、この作品は、それを突き放している。この異質性が気に入っている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

A14 大津英敏(1943ー )

 「東京大学」、「赤門」は、辻井喬著「終わりからの旅」の挿画となったエスキースである。
 私が東京大学を卒業していることから、名古屋画廊の中山真一君が紹介してくれたことが、購入のきっかけである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink