恐れるもの

 平安時代、年末に仏の名を唱えて1年の罪過を払う「仏名会」と呼ばれる仏事が行われたとされる。その際、出席者(僧侶・貴族)の正面に仏の世界が置かれたが、同時に出席者の後ろに地獄絵の屏風が置かれたとされる。
 地獄という世界があることが明確に意識されていたと言えるだろう。
 平安時代末期には、地獄や餓鬼を主体とした絵巻である「地獄草子」、「餓鬼草子」が制作されている。
 平安時代中期、天台僧である源信が「往生要集」を著しているが、その最初には、厭離穢土(おんりえど)として、諸経典から抜粋した厭うべき六道の様が記されている。
 六道は、浄土の対極にある世界であり、死後、輪廻転生する地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の6つの世界である。
 ここではあまり立ち入ったことは省くことにするが、昔の人は、恐れるものがあったと感ずる。
これに対して、現代に生きる多くの人は、昔の人のような死後の世界観はないと言っていいだろう。
 しかし、恐れるものがないというのは、不幸なことのように思う。「恐れるもの」に相当する何かが明確に意識されなければならない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年09月26日 | Permalink