浄土
浄土にもいろいろあることを知らなかった。
釈迦如来の霊鷲山浄土(りょうじゅせんじょうど)。
阿弥陀如来の極楽浄土(ごくらくじょうど)(西方)。
弥勒菩薩の兜率天浄土(とそつてんじょうど)(北方)
薬師如来の瑠璃光浄土(るりこうじょうど)(東方)
観音菩薩の補陀洛浄土(ふだらくじょうど)(南方)
8世紀初頭の法隆寺金堂壁画には、釈迦、阿弥陀、弥勒、薬師の四方仏の浄土が描かれているそうだ。
しかし、浄土のイメージは、それを膨らませようとしても限界があるとの話があり、私も同感である。
これに対して、浄土の対極にある六道の世界は、イメージを膨らませることができる。
浄土は、すごろくのゴール(到着点)のような世界があり、そこでの生活(?)は、あまり意識されてこなかったようにも思う。
浄土は、北極星のような方位を知るための指標に過ぎないのかもしれない。
「恐れるもの」について、考えようと、別の所で述べたが、「恐れるもの」の対極にある浄土についても考えるべきだろうと思い、記述した。