銀婚式
私事で恐縮ですが、実は、銀婚式を迎えました。
銀婚式をどのように祝うのかは、いろいろだと思いますが、私たちは、北海道の銀婚湯という温泉へ行きました。函館から車で1時間半のところにあります。良い温泉でした。
私は、ここ3年くらい、秘湯めぐりにはまっていまして、日本秘湯を守る会の宿を中心に、回っているのですが、その中に銀婚湯があったため、知っていたものです。
銀婚湯と名前をつけたのは、温泉を掘り当てたときが、大正天皇の銀婚の佳き日にあたり、温泉を掘り当てた初代の銀婚式も重ね合わせたところからと聞いています。
発案は、初代の奥さんであり、ここが重要だと感じました。銀婚式の年齢であれば、まだ動けます。日本全国から銀婚式の人たちが訪れます。おかみさんは、頭のいい人だと思いました。
銀婚湯では、銀婚式の前後2か月の宿泊では、祝い膳を出していただけるということであり、そこを狙って行ったのでした。あまり深い目的とか、なかったのです。
祝い膳では、大根をうまく使い、立ち姿の鶴が作られていました。そして、一緒に、「祝銀婚」と筆で書かれた、木でできたプレートが渡されまして、そこに毛筆で、自分たちの書いた言葉(原稿)を、達筆で書いてもらえるということでした。見本も見せていただけたのですが、まさかそのようなセレモニーがあるとは考えていませんでしたので、本当に悩みました。食事が終わる頃には、原稿をお願いしますと言うことでした。
我家では、私の家内の発案で、「原稿は、あなたが書きなさい。」ということになりました。
これは、ある意味、司法試験の2回試験に匹敵する、結婚の中間テスト、と言ったものでした。
皆さん、何を書かれますか?
どちらかが、どちらかに、感謝する言葉を書く、我家で言えば、私が家内に感謝する言葉を書くのではなく、主語は、「私たち」とするべきだろうとか、いろいろ考えました。
実際のところ、私は、「25年間、健康に暮らすことができました。」としか書けませんでした。
そして、「息子2人の成長を楽しみに次の25年間を。」と続けました。これしか思いつきませんでした。
そのときは、何とか原稿を渡せたということで、ほっとし、それ以上何も考えられませんでした。
書いてもらったプレートは、書棚に飾り、今でも、何が良かったのだろうと思い返しています。
しかし、このプレートは、我家の歴史の一部となっています。
皆さんも考えていただければと思い、お話させていただきました。