自分は自分という生き方
南蔵院、林覚乗さんの「心ゆたかに生きる」の中に、次の記述があった。
「ドジャースの野茂英雄投手が大活躍しています。四番打者のボンズが日本人記者から『ノモを見て、だれを想像しますか』とたずねられ、『ノモはノモにしか見えない』と答えていましたが、その通りです。
ところが、日本人一般の見方は、そうではないんですね。例えば、ノーラン・ライアンを思い出したとか言いがちです。長嶋二世とか、王二世とか、落合二世とか、すぐだれかのイメージをダブらせて比較します。」
「人と比べることのない『自分は自分という生き方』は、今ある自分に喜びも悲しみも含めて感謝することです。」
自分を振り返ってみると、学生時代(特に初等の時期)は、人との比較の中に置かれていたこともあり、「自分は自分という生き方」からは遠かったように思う。
しかし、年とともに自分の生きる場が決まってくると、潮目が変わり、「自分は自分」と考えざるをえなくなったと思う。むしろ、孤独すら感じて生きることもあるのではないか。