高齢となった自分の姿

 世の中の元気な高齢者を見て、自分も、あのようになれると思ったらまちがいであることは、わかっている。
 弁護士会の永年表彰など、表に出ている高齢者の方は、元気な人であり、つい、それが普通のように感じてしまうが、元気でない高齢者の方も多いだろう。
 高齢となった自分の姿を想像したとき、食事、排泄、入浴ができれば十分に幸せなのだと自分に言い聞かせることも必要なのかもしれないが、それ以外もなんとか実現するという工夫が必要なのだろう。
 自分の好みについて言うならば、温泉の香り、肌ざわりが好きなので、どうかして連れて行ってくれと頼むのだろう。それにしても、岩風呂、洞窟風呂は、やはり無理なのかもしれない。それならば、今のうちに行っておこうと考えるのかもしれない。
 現代美術も含め、いろいろな作品を見ることは好きだけれども、歩けなくなったら、簡単ではないだろう。世の中に対する関心も薄くなってしまうのか、どうするのだろうと思う。息子や孫が連れて行ってくれると考えるのは、期待するにも程があるのかもしれないが、良い関係づくりが大事なのかもと思ったりもする。
 死ぬまで仕事の第一線にいるべきだと考えているけれども、若いときと仕事の仕方は変えていくべきだろうとも思う。
 まあ、あまり先まわりして心配しても切りがないが、少しは考えた方が良いかと思っている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年04月26日 | Permalink