「悪人」 吉田修一原作
「悪人」を録画し、テレビで見た。
感じたことの1番は、人生は、それぞれの人のものであり、画一的な論評はできないということ。
2番は、人生は、それぞれの人のものであるが、社会は、ルールを設定し、そのルールの中で動くということ。
誰が悪人かという議論は、当然予想されるところだと思うが、議論を道徳のレベルまで広げたり、因果関係をしぼらないと、悪人は多く出てくることになり、その比較は興味深いものだろう。
しかし、私としては、人生は、それぞれの人が自分の人生として受けとめるものであり、自分で進むものであって、簡単に論評できないという気持ちになった。
テレビ局などマスコミの取材、恫喝も伴なった詐欺商法など、法律上の問題があり、また批判されるべきであるが、そのようなものがある前提で、人生を考えざるをえないだろう。
社会のルールは、各人の人生をそれぞれの人のものとするにしても、その調整が必要であり、生まれてくるものである。ルールとしては、法、道徳などいろいろなレベルがある。
土木作業員、清水祐一の行ないは、少なくとも法のレベルでは、しかるべき手続がとられることになる。
洋服店店員、馬込光代の純愛は、今日の時代、ひかれるものがある。しかし、純愛は、日常生活から切り離された形となりがちである。朝日を2人で見るシーンは、美しいが、はかない。
殺された保険外交員、石橋佳乃の父である理髪店店主が、チャラ男の増尾圭吾に怒りをぶちまけた後、店に帰り、妻と言葉をかわすシーンこそ、日常の純愛だろう。
このように見るのは、弁護士としての経験に毒されているからかもしれないが。