子は、親に認めてもらいたいという心情が、根底にある。

子が、不安を感じた時、その原因をとことん追究していくと、親に認めてもらえるだろうかという心情に達する。
したがって、子が、「どうしたら良いか分からない。」という悩みを発するとき、「こうしたらよい。」という答えが適切とは限らない。それよりも、親は、子を認めているということが伝われば良いのである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年05月27日 | Permalink

自分(親)の力量は、どこにあるか。

 この問題は、人それぞれにより異なっており、大事なことは、それを十分に考え、書き出して、活用するということである。
 
その上で、税務が対象とするところと比べ、その差を明確にすることである。
 
また、ファミリーの心情から、何が求められているかについても考えてみると良いと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年05月20日 | Permalink

自分(親)は、誰のために働くか。

 自分とファミリーのため(または、順序を逆にして、ファミリーと自分のため)という人が多いだろう。

1.それでは、自分のために働くというのはどういうことか。衣食住のためにお金を稼ぐ必要があるという人が多いかもしれない。
 しかし、この点については、D.S.ランデス著「強国論」(三笠書房)494頁の指摘以上のものはないと感じている。
 「あまりにも多くの人が、生きるために働き、幸せのために生きている。(中略)働くために生き、その副産物としての幸せを得るべきだ。」

2.次に、ファミリーのために働くというのはどういうことか。単に、ファミリーにお金や物を与えることだろうか。逆に、生き方を教えるというような抽象的なものだろうか。
 このあたりの議論は、哲学的なところもあり、ここでは深入りするつもりない。
 しかし、ファミリーのために働きたいという心情は理解できるところであり、実利的な面に限って考えてみたい。

 自分(親)が働き、所得を得て、税金等を支払い、その残りの中から生活費を負担する。これが一般の(特に給与所得者の)感覚であろう。
 実際に、裁判所も、夫が妻に生活費(婚姻費用)を渡さない場合、子の人数・年齢、夫と妻のそれぞれの収入を基準として、相当な生活費を決めている。
 しかし、資産性所得も考えると、資産が働き、所得を得て、税金等を支払い、残りが出るのである。そこでの自分(親)の役割は、資産が働けるようにマネジメントすることになる。このマネジメントをボランティア精神で行うならば、自分(親)の所得は発生しない。

 このように、働き方を柔軟に考えるならば、実は、法律的にいろいろな形態を設計できる。その工夫をする必要があると考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年05月15日 | Permalink

「堤家の遺訓」…その深淵にあるもの

かつて、テレビ朝日の報道ステーションで、巻物となった「堤家の遺訓」が再現されて、紹介されていた。
そこでは、トップ(家長)は、財産の管理人であると規定されていた。
この考え方は、「総有」という考え方に近いものがある。

ところが、報道ステーションでは、堤義明氏のワンマンぶりから、西武鉄道の株式名義借り事件を、財産への執着として取り上げるのみであった。その捉え方は、「財産の管理人」と規定する「堤家の遺訓」の考え方を、全く理解しないものであった。

「堤家の遺訓」が、単に、堤家の繁栄のためにのみ創られたとするならば、狭いという感もある。
しかし、財産を、社会に役立つよう「管理する」ことを述べたものだとすれば、立派なことである。
結局、財産を何のために作り、維持するかを明確にすることが必要である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年04月28日 | Permalink

財産という観点から見た家族観

高木桂蔵著「客家(ハッカ)の鉄則」(ゴマブックス)の中に、次のような記載がある。

 客家人は自分の財産は子どもに残すのではなく、一族のために残すという考え方をしている。自分の繁栄は一族のためであると考える客家人にとって、その没落もまた一族の凋落であることを意味しているからだ。
 もちろん子どもにも遺産は残すが、客家人のあいだではいまも“公嘗(こうしょう)”と呼ばれる共有財産制度がある。公嘗とは皆で受けるという意味で、一族の子弟の教育や先祖の祭りごとのときに使われることになる。これは“公嘗田”という形を取ることも多く、家族単位で耕す田のほかに、一族全体で田を耕しそこで収穫されるものを共有財産にするというシステムである。
 科挙の制度があったころは、この共有財産は子弟の教育費にあてられることが多かった。財産を残すことより、子どもに教育を受けさせ官吏に登用されることのほうが、はるかに一族の繁栄のためになると考えたのだろう。

このような考え方は、日本にもある。

三井家では、財産は共同所有という「身上(しんしょう)一致」の家法を定めたとされる。

この共同所有のあり方は、民法上の「共有」ではなく、学説で議論されている「総有」や「合有」に近いと思われる。

「総有」とは、数人の1つの物に対する共同所有ではありながら、共同所有者の持分が否定されるか、あるいは不明確なものとして潜在的なものにとどまるとみられ、その結果、共同所有者は、主として物の利用権を有するのみで、持分処分の自由や分割請求の自由は否定されるところの所有形態をいうとされる。
物についての管理権も各共有者が行うのではなく、一部の者に委ねられるのが通常であるとされる。

一族の財産の管理のあり方として、合理的ではないだろうか。

近代になり、民法が「共有」について、持分処分の自由や分割請求の自由を認めたことにより、個人主義が徹底された。このことは、個人の意識を変え、民主主義の考え方の普及となり、社会の活力となったと評価される。
しかし、個人主義・民主主義の理想とする個人のあり方を、全ての個人に期待できない状況も認められる。
ここでは、個人主義・民主主義と、集団主義・独裁主義の間で、綱引きがある。

財産の管理を委ねることができる、有能で、志の高い人をいかに見つけ、団結できるかが重要である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年04月22日 | Permalink