ものの保管場所
ものを保管する場所については、災害があったときの備えとしては、場所を分散した方が良いとは思う。
しかし、ものを楽しもうと思うならば、ある程度保管場所は集中していた方が良い。
この点は、悩ましいところであるが、災害によってものが失われることは、運命であると割り切るならば、ものを楽しむスタイルを取った方が良いだろう。
ものを保管する場所については、災害があったときの備えとしては、場所を分散した方が良いとは思う。
しかし、ものを楽しもうと思うならば、ある程度保管場所は集中していた方が良い。
この点は、悩ましいところであるが、災害によってものが失われることは、運命であると割り切るならば、ものを楽しむスタイルを取った方が良いだろう。
ものが残るのは、意識して集めたからだ。
この意識したという点が重要だろう。
実際のところ、ものが多くなったといっても、それはかなり選択した結果だ。ものが多いといっても、管理できないほどではない。
もちろん、保管スペースが十分あるように、前もって予定しておかなければならない。
多くの飾り物(動産)を持つ者として、それをどのように利用したら良いか?
「どうせ死んでいくんだから、ものを持たない方が良い。」と言う人が多く見受けられる。
それに対して、多くのものを集め、整理してきた者として、どのように述べたら良いだろうか?
基本は、集めたものをどのように楽しむかという問題だ。
保管場所を1つに定め、そこから日常生活の場所へ定期的に持ち出すことによって、楽しんでいくことが良いと思う。
ものを持つことの意味として、ものには歴史が積み重なっていくということは重要だと思う。
歴史を持ったものを見ることは、先祖のことを考えることにつながり、自分の立場をとらええ直すきっかけとなる。
ビジネスの承継のためには、管理体系の共有化が必要だ。
管理するものは、本などのハード類もあるが、それぞれの人が作成した原稿等のソフトも含まれる。
管理体系を共有化することで、先代が考えていた体系を後世の人も利用してみることによって、気づきがもたらされるだろう。
文書、動産等の管理の体系を作り、それに基づいて、自分だけではなく何人かで管理・保管を始めたとき、自分の考える体系の中にそのものが収まっていないことがある。このことは、自分だけで管理している体系の中でも起こる。
これは自分自身の注意不足によることもあるが、体系の中で、すぐに探せないことは、ストレスでもある。
こうした場合、あくまでも探し出すことに注力するのではなく、またどこかで出てくることもあるだろう位の緩やかな感覚でいる必要がある。
それは20年前の自分を改めて読み返すことができ、20年間の変化を感じるからだろう。
このように記録は、時間の経過の中で重要な役割を果たす。
私自身はタイムカプセルに入れて、わざと、その自分の手紙を読めないような状態にするのではなく、記録として連続して残していくことが重要だと考えている。
展示物は、展示している状態と保管している状態とがある。
その両者を1つの設備に納めることが重要だ。多くの家庭では、それが考えられていないため、整理ができていない状態になる。
保管している状態である倉庫についても展示していることは面白い。
紙ベースだけであれば、ファイルの体系を作り、外からファイルの保管場所を見て、参加者が共有することができる。
これに対して、電子化された状態が混ざってくると、電子化された状態のものを保管する体系をどこかに作り、参加者がその内容を見て保管場所(フォルダ)に入れる必要がある。
問題は、電子化された文書が、
紙ベースで保管するために作成されたものか、
全員のために作成されたものであるが、当面電子化された状態で保管するのか、
自分だけの当面の必要のためだけに作成されたものか、
などによって、保管方法に乱れが生じることである。
この状態の中で、当面の役割を終えて、不要となるものと、役割を終えたが、記録として保管するものとが出てくる。
この場合、必要度に応じて、保管場所(フォルダ)をきちんとしないと見つけにくくなってしまうだろう。
キーワードだけで文章を探すことも可能だろうが、その場合、ある程度の時間がかかり、体系が明確でないため、全体を把握しにくいという問題がある。
他人と共有する場合はなおさらだが、自分だけで文書を管理する場合ですら、保管場所(フォルダ)がきちんとしないことがあるだろう。
このような管理の手法は、自分1人だけでなく、自分の後継者との間で共有する必要がある。
それは、先祖はどのような選択をしたかを知らせるためである。
先祖は何を是としたかを考えることになる。
実際のものに当たって感ずることが大事だ。