未来の人は、私のことを、記録文書を残した人だと思うかもしれない。
記録を残したといっても、あまりに煩雑・大量であり、読む気がしないかもしれないし、読む人の時間を奪うのではないかと恐れている。
生きていて、いろいろなものに接し、自分が気がついたことを後進に伝えたいと思う。しかし、自分の現在を生きることにも時間をかけざるを得ず、記録を整理する時間も限りがある。
気がついたときに、簡単に印(しるし)を付け、時間があるときにコメントし、体系化する。後に必要がないと判断すれば捨て、読み返して別のとらえ方ができれば、またコメントする。体系が完成したと思っても、時間が経過すれば、体系は修正するしかない。
ファイルの背表紙に書かれた題は、それが集まれば、現在の自分の体系である。ファイルの中身は、離合集散し、ファイルの背表紙に書く題は、変わっていく。自分の体系は、常に変容していく。
「過去を見る眼が新しくならない限り、現代の新しさは本当に掴めないであろう。」(「歴史とは何か」E.H.カーⅳ頁)という立場から、記録の整理もし、未来を考える。これをどこまでも繰り返していくつもりだ。