自分を形作る成分は、何だろう?

自分を知らせるものとしては、自分が書いたもの、読んだもの、集めたもの、写真・映像などだろう。
その集積から知ってもらうしかない。

書いたもの、読んだものは、ある程度、カテゴリにより分類している。
この分類の仕方も、自分を知ってもらう材料だ。

こうした材料から、自分を構成してもらうしかない。
その点で、成分だといっていい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年12月06日 | Permalink