財産的価値があり、換価しやすいものは、多くの人が残してほしいと考えているだろう。
現金、預金、上場株式
換価しにくいものでも、財産的価値があるものは、残してほしいと考えるだろう。
不動産
残された人が使いにくい大きさ、間取りであると、敬遠されるが、処分してしまえばいいとも言えるだろう。
絵画
残された人の趣味に合わないときは、処分されてしまうだろうが、金額の問題だろう。
非上場株式
今後も会社を支配していきたい人・それを支援していきたい人にとっては、重要なものだが、そうでない人にとっては換価に困るだろう。
財産的価値があるかどうか分からないものは、困るだろう。
書籍、資料、写真、記録など
こうしたものは、残された人が困るから、生前に処分するべきだという意見もある。
しかし、実は、こうしたものこそ、これからは大事になると考えている。
処分されてしまうと、残された人にとって、再現できないからだ。
戦争をしてはならないのは、こうしたものを残し、歴史を伝えるためだ。
歴史を伝えることが、これからの戦略として非常に重要だ。
この観点から考えると、動産も、何を・どのように残すかはよく考えられるべきだ。
残せないのは、多くはスペースの問題があるからだ。スペースがある限り、残していき、将来の世代に、始末の仕方についての判断を待つのがいいと思う。
将来の世代にその判断を求めることは、余分な労力をかけることになるという意見もあるだろうが、何もないことでも将来の世代は困るだろう。
動産は、ただ残されても、その意味が分からなければ、将来の世代は困る。何らかのコメントも同時に残すべきだろう。
形見分けがあるように、亡くなった人が使っていたものは、その歴史が残っていると思う。