資産とは何か。
弁護士が経済や歴史の話をしても、どこまで信用してもらえるだろうとの思いはある。
しかし、弁護士は、現場、臨床から得られる経験(観察やインタビュー)が資産となっていると考えており、その観点からお話したい。
資産について考察することの意味があると考えている。
意外に、世の中では、資産に対する見方すら確定しておらず、その結果失敗することが多い。
資産とは、「外界へ対応する力」だと思われる。
資産は、当面の形として、生存を支えるものとして存在する。
一番の資産は、その人の中にある「考え方」である。
いかなる災害、悲運に遭遇し、損害を受けようとも「考え方」が大丈夫であるならば嘆く必要はない。
松下幸之助の話を読んだり、戦後立ち上がった経営者と話をしたときに気がついたことは、敗戦時にこれからの社会をどうとらえたかが全てを決定しているということである。
「考え方」以外の従来、資産と呼ばれてきたもの(たとえば、金銭、不動産、株式、自動車、家財道具)は、「考え方」の表現方法ではあるものの、それだけでその人を豊かにするものではない。
物があふれる今日の時代になると、家財道具は、その転売価額がほとんどないことに気づく。すると家財道具をもっていても資産とは感じなくなる。
それは単に自分の生活を構成する1つの道具にすぎない。
このことは家財道具だけでなく、「考え方」以外の全ての資産に該当することである。
今まで資産だと考えていたものが、実は道具にすぎないということ、そして、問題はその道具でもって何をするかということ、こういった感覚をもつことが次のレベルへのステップとして必要である。
腕力(原始時代)、奴隷(国家形成期)、土地(農耕期)、資本(産業革命以後)と財産は変遷してきたが、根底には、「考え方」というソフトがあった。これからは、「考え方」というソフトが、より前面に出てくる時代である。
個の自立は、この「考え方」を持つことだと考える。
先人の書物という大海を自分の力で泳ぎ、吸収し、考え、まとめ、発表する。その仕方も個性的で自由である。そこに、個の自立が、具体的に現われる。