日本をいつ脱出するべきか?
円資産の価値の暴落を想定して、海外への資産移転を勧める論者が2000年頃からよく見られるようになり、既にある程度(あるいはほぼ完全に)実行された方も多いと思う。弁護士として話を聞くなかでも、そう実感する。
経済活動の場が日本の枠を越えている人にとっては、海外投資の取得は当然のことだと思う。しかし、主たる経済活動が日本にある人にとっては、海外資産の管理は特別の研究を要する。また、ユーロ危機などを経験すると、資産の安全地帯はないと感じられ、また、分散の必要は理解できる。
私のように日本国内を対象とした仕事をしている者は、日本を住みやすいと考えていると思われる。しかし、経済活動の場が世界に広がっている人も、日本は住みやすいと考えているだろうと思う。中国が経済的に成長している時期でも、中国で活動するために中国に居住する必要があれば、やむをえないと考えたかもしれないが、中国に住みたいとは思わなかった。
若者は海外に出てかんばるべきだという論者もいるが、確かに、日本での活動の場を見つけられていない人は、ぐずぐず日本にいるよりは、成長点に出たほうが開けるだろうとは思う。しかし、成長点とは言え、暮らしやすいかと考えると別の判断になる、という人は多いだろう。
私も、日本で生活することを現在は考えている。しかし、場合によっては、日本を脱出することもありうるだろう。
(1) 日本国内を対象とした現在の仕事をリタイアした場合
(2) 日本人の思いやりの精神が失われたと思えた場合
(3) 日本での税・社会保障の負担が大きくなり、低負担国との比較で住み良さを感じられなくなった場合
江戸時代の藩が明治時代に県になり、移動の自由が認められてからは、誰もが自分は○○藩の人間だと意識しなくなったように、現在の国は、移動が自由であるならば、○○国の人間だと意識しなくなっていくのではないかと思う。