先祖の読んでいた本

 父母がどのような本を読んでいたかは、生前は、書棚をちらりと見る程度しか知らなかった。
 しかし、父母がそれぞれ亡くなった時に、遺品の整理をする際、じっくり見ることとなった。
 どのような本を読んでいたかは、その人の考え方を知る一番の方法だと思う。自分が読んだ本の前の装丁の本があったりすると、先祖との共通点を感ずるし、本の装丁そのものも面白い。
 父の書棚に、ピーター・F・ドラッカーの「現代の経営」(昭和41年11月1日 第71版発行)があり、前から読んでみようと思っていたため、驚いたことがあった。私が10歳の時に発行された本であり、その頃に父が読んだということは興味深いものだった。
 また、先祖は、なぜ、このような本を読んでいたのかと考えさせられることもある。自分の嗜好を広げる機会ともなる。
 このように感じたので、自分の書斎は、家族にはオープンにしている。本の持ち出しは全くの自由としている。
 逆にどんな本が持ち出されたかは、家族を考えることにもなる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年05月07日 | Permalink

組織のトップ

 組織を維持したいと考えるならば、トップには有能な人を据えるのが大原則だと思う。

 同族企業において、トップ(社長)は身内(子)から選ぶのが良いかという議論がある。
 この点について、身内の外に有能な人材がいたとしても、身内(子)から選ぶのが、組織は落ち着くという意見がある。身内から選べば、同族以外の人にも納得がいくのに対し、有能だからと言って身内以外から選ぶと選ばれなかった人との対立が生じて良くないという理由である。
 しかし、身内から選ぶと言っても、唐突に選んで良いものではなく、道筋をつけ、その中で訓練を受けて有能となった者を選ぶことは当然だろう。
 身内以外の有能な部下が何人かいる場合、そこから選ぶことはむつかしいことだろうが、だからと言って身内(子)を選ぶことが正当化されるものではない。

 身内(子)と身内以外の有能な部下の関係をいかに作るかこそが問題だろう。特に親の部下と子との関係はむつかしい。それは、親が子を子供扱いするからだ。確かに子は子供であった時期があるから致し方がないが、大人になってからも子供扱いが出る。親の部下も、子が子供のときを知ればなおさら、親と同様の行ないとなる。親の部下と子の関係を作るためには、時間をかけ、工夫を要する。
 私は、身内(子)には、自分の部下を選ばせ、身内(子)の成長と共にその部下の成長を促すのが一番良いと考えている。親の部下は、あくまで親の部下であり、子の部下にすることは、よほど言い含めないとむつかしいと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年02月23日 | Permalink

細川家

 細川護熙元首相の「私の履歴書」(日経新聞)を読んで、参考に思った点は、次のとおりである。

1.「守護の時代から大名の時代、さらにはその後の時代へと、細川家はその時代ごとに、堅実かつしたたかな人たちがバトンを受け継いできた。」
 細川家は、そのまとめ役に適切な人を据えたと思われる。

2.「何か特に処世の家訓というようなものがあるわけではない。ただ、細川家の一挙手一投足は常に中庸をいくものだった。初代の幽斎に象徴されるように、自分の功績を顕示もせず、きわめて自然に歴史の表舞台の自分の痕跡にヴェールをかけていった。もし、領地拡大の野心でもあったなら、たちどころに足をすくわれて、細川家はとうの昔になくなっていただろう。」
 自分の立場をよく理解し、主流志向に片寄るのではなく、自然の流れを重んじたと思われる。

3.「細川家は記録を大事にする家で、江戸時代265年間、担当者が毎日欠かさずつけていた日誌もある。」
 700年にわたる歴史的な文物が東京・目白台の永青文庫・細川コレクションに伝えられている点も含め、持続する管理の意思を強く感ずる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年02月08日 | Permalink

ファミリービジネスの観点から、離婚をどのように考えるか。

 離婚を考える前に、夫婦間の愛情、親子間の愛情について、十分考えるべきだ、というのが私の実感である。
 民法の離婚原因として、「不貞行為」が第1に記されている(民法770条)。

  1 配偶者に不貞な行為があったとき
  2 配偶者から悪意で遺棄されたとき
  3 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき
  4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき
  5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき

 立法担当者が、どのような価値判断で、このような順位を定めたのか、私は、詳しく検討したものではないが、私の実務経験上の感覚からは相当にずれていると言わざるをえない。

 離婚を考えるべき状況
  1 配偶者からの暴力が一方的に連続するとき
  2 悪意の遺棄
  3 配偶者の生死が明らかでないとき(3年を待つ必要はない)
  4 強度の精神病で回復の見込みがないとき

 離婚を考える前に今一度立止まって考えるべき状況
  1 不貞行為
  2 浪費

 一般的には離婚を考える状況にないが、本来、離婚を考えるべき状況(また、離婚を認めるべき状況)
  1 夫婦間、親子間のコミュニケーションの欠如・不足
  2 思いやりの欠如・不足
  3 家計費(婚姻費用)を負担しないとき


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年09月03日 | Permalink

自分の親(または子)との対立

 自分の親(または子)との間で裁判になることは、少なくない。裁判になると、一般的に証拠として文書が重要視される。ところが、親子間では約束があっても文書化していないことが多く、明確な判断が出しにくく、立証ができていないとして結論が出されてしまうことも多い。
 しかし親子間では、通常、文書化までしていないことが一般的なのだから、立証責任の一般論で結論が出されることに異議が出されることも多い。理屈ではわかっても、感情的には割り切れないことも多いだろう。
 親子間の裁判を見てきた立場から言えることは、親子だからわかりあえるはずだというような希望をもつのではなく、どこまでも客観的な記録を残すという道を進むか、紛争にならないように、どちらかがどこまでも譲るという道を進むか、割り切りが必要だと思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月16日 | Permalink

コミュニケーション

 「ファミリーはいかに統率されるべきか」というような表現で、ファミリーガバナンスが論じられる。
 ルールを明確にすることで、ファミリーの力を結束するという方法も有効であると思うが、それ以外にファミリーの中でいかにコミュニケーションができているかは重要である。
 また、ファミリービジネスは、長期の視点に立って考えるべきであることから、コミュニケーションも、生存している人とのコミュニケーションのみではなく、ご先祖様とのコミュニケーションも考えられるべきであろう。
 コミュニケーションの工夫は、いろいろなところで考えていかなければならない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月11日 | Permalink

紛争管理システム

 紛争を未然に防止したり、紛争を解決するためには、コミュニケーションの役割が重要である。
 このため、コミュニケーションの能力を高めることは、常に考えなければならず、実行される必要がある。
 しかしながら、個々人の能力に期待するというだけでは、永続性が保証されない。
 したがって、システム(仕組み)として考えなければならない。この際、「紛争を解決するよりも、紛争を管理する方法を考える」というやり方が重要である。

紛争が生じると、解決しなければならないし、根本的な解決を目指すことが必要であるが、いつでも、すぐに、それができるものではないと思われる。紛争を「おもりする」という感覚が必要だと考える。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月24日 | Permalink

ファミリー集会、ファミリー評議会

 欧米の書籍を見ると、ファミリーの運営にあたり、ビジネスの世界での株主総会、取締役会に相当するものとして、ファミリー集会、ファミリー評議会が紹介されている。
 日本では、ファミリー集会、ファミリー評議会というような名前を使って実施していることは少ないだろうが、それに相当するような会合は開いているのではないだろうか。
 家族の中では気恥ずかしくて、そのような名前を使いにくいのかもしれないが、名前にこだわるかどうかは後から考えても良いが、現在、それに相当するものが開かれているのか全く開かれていないのかは考えてみるべきだろう。
 核家族と言われて久しい現在、意外にファミリー集会、ファミリー評議会に相当するものは開かれていないのかもしれない。もしも自分のまわりがそうであるならば、ねらいをよく考えて試みても良いのではないかと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月19日 | Permalink