自分が亡くなった後
父母が亡くなったときを思い浮かべ、自分が亡くなった後を考えてみる。あの世のことではなく、自分が亡くなった後のこの世のことである。
自分が一番大事だと思うものは、これまで自分が築いてきた、自分の体系だと思う。自分なりの、世界の理解の仕方など、大事ではないかと思う。
自分の体系を説明するものは、自分の活動範囲を起点として、これまでに経験した事柄として、蓄積されているはずだ。それは自分の言葉で表現されているものは、実際には少なく、購入した書籍・物、撮った写真、受けとった物などの形をとっているだろう。
象徴的には、自分の席に他の人が座ることにより、自分の体系を感じてもらえるだろう。
しかし、自分の席は、いつまでも空けておくことはできない。今生きている人が、利用していかなければならないからだ。すると、自分の体系は、ばらけていくだろう。
こうした点で、自分の記録をクラウドに保管することは、意味があるだろう。父母に聞いてみたいと思ったとき、聞けなくなっていることが、父母の死を一番実感する。
自分の体系は、誰でも理解できるものではないが、一番理解して欲しい人に利用してもらえるように、工夫する必要がある。