自分の「聾瞽指帰(ろうこしいき)三教指帰(さんごうしいき)」

空海真筆である「聾瞽指帰」(またの名前が、三教指帰)を、以前に見たことがある。そののびやかな筆の動きを見ると、その意欲をひしひしと感じたことを記憶している。

空海が、「聾瞽指帰」を記述したのは、自分の歩みと信仰を、親族を含む世の人々に示そうとしたからである。聾瞽指帰は、空海にとって、決意の表明であり、退学の弁明でもあったものである。

法然の比叡山からの下山、親鸞の比叡山からの離脱も、これに類するものである。

こうした「聾瞽指帰」が、自分にあるだろうかと考える。空海と比較することは、おこがましいことかもしれないが、自分の「聾瞽指帰」は、何かを探してみても良いのではないか。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年04月27日 | Permalink