計画的偶発性理論

何らかのテーマを選ぶとき(例えば自分のビジネスを選ぶとき)、1 市場規模を考えるなど、成果の見込みを先に考えるのか、2 自分がこれまでに経験してきたこと、活かせることを考えるのか、という分かれ道が考えられる。
合理的に考えれば、成功の確率が高い分野を選ぶことが重要だろうとは思う。
しかし、現実的には、自分の好みとか経験を活かすことを考えるだろう。
そのやり方は、頭の中だけでは本当に合理的な判断ができず、自分の実際体験を前提として進んだ方が良いという判断がもとにある。このように進め、予想していなかった偶発的な事情も受け入れることで、さらに進んでいこうと考えるやり方だ。
そこには、この自然界を作っている神に対する信頼がもとにあるといって良い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年08月05日 | Permalink

根拠のない批判や合理性のない意見を言われたとき

仕事をしていると、根拠のない批判や合理性のない意見を言われることがあるだろう。
そうしたときは、その場で直ちに反論するかどうかは、少し考えよう。
その場で、相手も納得できる裏付けがあるならば、直ちに反論することも良いだろう。
しかし、そうでない場合は静かに過ごすことも選択した方が良い。気持ちの面でモヤモヤしたものが残るのであれば、そうした批判・意見を言う人よりも、もっと先に進むためにはどうしたら良いかと考えるのが良い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年07月28日 | Permalink

議論

議論を、勝ち負けでとらえる人がいる。
議論の結果、出される結論が自分に得になるかそうでないか影響する場合、やむを得ないこともあるだろう。
しかし、そうでない場合まで、自分の言っていることにこだわる人が多いように思う。
議論は、自分にとって有効な事柄を得るためになされるものと考える必要がある。
自分が主張したことについて、そうではない事柄が出てきたとき、柔軟に対応する必要がある。議論の勝ち負けではなく、議論の結果を自分にとって有効に利用することを考えるべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年07月11日 | Permalink

結局、何にお金を使ったかが全て。

明治維新のとらえ方としても、これまで武家社会が抱えてきた武士に対する必要最小限の支払いを止めて、国家のために必要なものを購入したことが、日本の革新に役立った。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年07月05日 | Permalink

自分の能力を拡張するとき

ワープロを使えば、読めるけれども自分ではちょっと書けない漢字が使える。
しかし、私自身を振り返ってみると、自分では書けない漢字を使うことは、何かはばかられるものがあった。
「はばかる」と言う漢字(憚る) も、自分だけではすぐに書けない場合、ひらがなにしておく。
機械を使えば、自分の能力を拡張できる場合、それにどう対応するかは、人それぞれかもしれない。
文章は、あくまで自分で手で書くことができるものという認識を持つ場合、ワープロで変換されるからといって漢字をどしどし使うことはしない。
しかし、機械の支援がある場合、それはどしどし使うべきだという考え方は成り立ち得るし、それが望ましいやり方かもしれない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年06月24日 | Permalink

事業の立ち上げ

これからの事業の立ち上げは、サービス業が中心となるだろう。
事業を立ち上げるとき、長く続けるのではなく、旬のものを届け、成功するとすぐに次のものに移行するというやり方も考えられる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年06月16日 | Permalink

事業主感覚

事業主であれば、事業主感覚を持つべきであるが、サラリーマンであったとしても事業主感覚を持つべきだ。
事業主は、組織運営の感覚を磨くべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年06月08日 | Permalink

縮小均衡で進むことの問題点

1 目標が小さくなること
縮小均衡することで何とかお金が回るようになると、それで満足してしまうことが多い。本来は、もっと収入を向上させるために何をしなければいけないかを考えなければならないところ、それが行われないことになる。
2 チャンスの芽が広がらないこと
これまでを振り返り、その時々に余分なものではないかという思いも半分あったものの、何かと支払ってきた。こうした費用負担は、どこかでチャンスに結びつく可能性がある。逆に、こうした費用負担をしないとチャンスは生まれてこないのではないか。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年05月30日 | Permalink

将棋の藤井聡太竜生が、「将棋の神様がいるなら何を願う?」と問われ、「せっかく神様がいるのなら一局お手合わせ願いたい」と答えた。

このやりとりは、神に対する考え方を考える点で重要だ。
多くの人は、神様に対して何か成果物をお願いする。
しかし、神様に対して、外敵から守ってもらえるようにという安全はお願いするが、何か利益を獲得したいと願うのは、他人頼みだ。
この点で、藤井聡太竜王は、自らの主体性をなくさない対応を発言しているといえる。
神様は、自然界のルールであって、そのルールに従い、自ら成果を獲得するべきものだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年05月23日 | Permalink