紙を使うことを少なくするためには、どうするべきか?
紙はすぐに記入できるため、思考するとき、備忘録などメモをとるときに利用するだろう。
しかし、思考のための場所をTrelloなどに作り、そこを見ながら思考すれば十分だ。
メモ等は音声入力を利用できるスマホを使う方が便利だ。
ただし、音声入力は誰かがそばにいると利用しにくいことがある。
紙はすぐに記入できるため、思考するとき、備忘録などメモをとるときに利用するだろう。
しかし、思考のための場所をTrelloなどに作り、そこを見ながら思考すれば十分だ。
メモ等は音声入力を利用できるスマホを使う方が便利だ。
ただし、音声入力は誰かがそばにいると利用しにくいことがある。
紙ベースで渡される資料は、常にスクリーニングをして、必要な物をすぐに出せるよう、ファイルに綴じて保管しておくことが必要だ。
逆に、保管しない資料は、一定期間を過ぎたら処分していく。
資料が全て頭に入る人を除けば、資料を見ている時間のみしか活用できないのではないか。
紙ベースに落とし込むことは、もの(昔のKJ法のカードのようなもの)として情報を扱える点で良い。
デ・ステイルは、堅固な様式的統一性を誇った。
しかし、この芸術運動の内部では、しばしば意見が衝突した。
ドゥースブルフとモンドリアンの対立が著名である。
ドゥースブルフは、水平線と垂直線にのみよって構成されていた従来の幾何学絵画に、新たに対角線を導入した。
これに対して、モンドリアンは、水平線と垂直線によってのみ画面を構成するコンポジション絵画にこだわった。
対角線を導入するかどうかをめぐる対立から、モンドリアンはグループを離脱してしまう。
対角線をめぐる対立だけで離脱してしまうことには驚く。
私の感覚は、研ぎ澄まされたものではないということだろうか?
自分の行動の範囲を打ち破ることが必要だ。
何かをきっかけとして新しいテーマを見つけることもあるが、トレーニングのように定期的に活動する中で新しいテーマを見つけることが必要だろう。
実際の仕事は、意思疎通を図りやすい7名位のチームで行われるだろう。
チームの集合体は、将来はばらけることもできる。
こう考えると、執務スペースとして大きなビルは不要になってくると直感的には考える。
総合的な底上げをすることが必要だ。
1つのことに賭けてしまってはいけない。
そもそも人は、自分と誰かを比べることは、普通に行なっているだろう。
しかしながら、自分の成果を誰かの成果と比べることは少ない。
人と比べるときは、自分が受けている恩恵の差を感じる時(妬みを感じる時)だからだ。
自分も含めた一族の年表を作っているが、これを見ることによって、自分と先祖とを比べて欲しいものだ。
重要なルールは、シンプルだ。
ところが、どこかで複雑化させてしまう。それは、正確性を求めたり、場合分けをするからだ。
むしろ、やらなければいけないことは、シンプルなルールを維持して、実行を続けることだ。
この2つは矛盾した時間だと思う。
しかしながら、同時に持たなければいけないものだと思う。