美術品の価格
美術品を原価でとらえようとすると、材料費は知れたものであるから、入手費用が中心となる。
しかし、美術品の評価は、人により大きく異なるし、時世の影響も大きい。
このため、入手費用を原価として頭に置き、前の持ち主がいくらで取得したかまで考え始めると、何も買えなくなってきてしまうだろう。
美術品は、自分で評価して、購入するしかないものだと考えるべきだろう。
美術品を原価でとらえようとすると、材料費は知れたものであるから、入手費用が中心となる。
しかし、美術品の評価は、人により大きく異なるし、時世の影響も大きい。
このため、入手費用を原価として頭に置き、前の持ち主がいくらで取得したかまで考え始めると、何も買えなくなってきてしまうだろう。
美術品は、自分で評価して、購入するしかないものだと考えるべきだろう。
文学作品は、最初から最後まで読もうとすると、それなりの時間を要する。
それに比べると、漫画は、速く読める。
これは、漫画にした人の要約があることによる。
要約は、ストーリーのピックアップ
情景の画像化
漫画化は、いろいろな版が可能となる。
文学作品を時間をかけて味わうことも一つの道だが、速く全体をつかむことも別の道だ。
そもそも時間をかけて文学作品を味わっても、頭に残る部分は限定される。
時間を消費するだけなのか、自分に何らか役立てるのか、の選択の問題がある。
原典に直接当たることが、どこまで重要か。
不動産は、基本的に自分で利用するものを確保すると考えるべきかもしれない。
大陸のように他民族が押し寄せる場所であればともかく、日本では、不動産の安全性は高いかもしれないが。
不動産の将来に対する考え方
人口が減少すれば不動産の需要は減ることは確か。
在宅勤務が普通になれば、事務所は今ほど必要がない。
お金のをどこに置くかは、換金が容易であるものを考えるべきだろう。
何か物事を整理しようとするときに、視覚的に全体が把握できること、体系化を進めるにあたって柔軟に変更できること、を考える必要がある。
全体を整理するときに、何かのファイルに書き込めば良いと考える人もいるようだが、それでは上に述べた2つの点が十分にできない。
Trelloの使い方を考えている時、その特徴をどのように生かすかをめぐって、人と差があることに気がついた。
文書管理(紙ベースとWebベースを含む)について重要なことは、それを管理する人だけが理解しているということではなく、参加している人全員が理解しているということが大事だ。
相続の時になって初めて文書管理のあり方を理解しようとしても、大変なことであり、またその意味を理解できないため、文書の管理そのものが揺らいでしまう。
文書管理の承継をどのように行うかという事は、日ごろから考えておくべきだ。
文書で記録する方法の強みは、その緻密性・正確性だと思うが、弱みは、あまりに深く広くとらえすぎるため、全体を把握できないことにある。
全体を記憶することができず、端的に言葉で表せない。
絵画・写真・漫画のような一覧性がない。
コロナで不況だと考えて、どの業種も大きなダメージを受けると一般的に考えていたが、株式の中でも価格が上がるものがある。
世の中を見るときは、もっと注意深く見る必要がある。
人はよくわからないものについてはリスクを取れない。
世の中には、リスクを取れる人と取れない人がいる。
自動車の運転も、リスクがある行動だ。
しかし、交通事故死があるからといって、自動車を運転しないわけではない。もちろん死亡事故を起こしたくないために車を運転しない人はいるだろう。
交通事故死があるからといって、社会も車の運転を8割削減しようとはしない。
これに対して、コロナによる死亡者は、交通事故による死亡者よりも少ないが、社会的な接触を8割削減するということで、人々の移動を厳しく制限している。
コロナによる接触の削減を主張する人は、多くはサラリーマンで、給料が削減される恐れの少ない人だ。
こうした人は、家にこもるという位のことで、具体的な痛みがない。
教科書を一生使えるものにするためには、今のような紙ベースの本では使えないだろう。
紙ベースでは、そもそも重すぎて運べない。
これ以外にも、欠点が多い。
文章を自由に切ったりくっつけたりする加工ができないこと
他の情報と連結することができないこと
特に写真や絵を加えることができない
教科書は、大人になってからも、いつでも見たり考えることのきっかけとすることができることが必要である。
小学生になる時期が来ると、マスコミではランドセルを選ぶシーンが出てくる。
しかし、ただでさえ重いランドセルに、いっぱいの本を詰め込んだ重さを考えると、子供たちに酷なことを求めているとしか言えないだろう。
私は、小学生の時は、ランドセルを買ってもらったものの、重く、かさばることが嫌いで、すぐにナップサックに変えてしまった。ナップサックは、中に入れる物の大きさに合わせて形が変わり、便利に感じたものだ。
労働保険 概算・増加概算・・確定保険料 申告書は、どうしてこんな煩雑なシートにしたのだろうか?
3枚複写になっていて、しかもその3枚共が申告書・納付書部分と注意事項に分かれる。その上、申告書の3枚目は使う必要がないのか、まず切り取ってから申告書に記入するように書かれている。
事業主控えは2枚目になっていて、納付書部分から切り離すことになる。
申告書の全体は、長ったらしい上に、しかも左の部分が適当に糊付けされていて、とても取り扱いにくい。
結局、手書きで書くことが前提となっていて、機械で読み取ることができるようになっている。このため、申告書を折り曲げる場合にはその場所が決められている。
このように、申告書の用紙のあり方は、特殊な上に特殊な形になっていて、全体を正確に記述することは困難だ。
紙ベースでの保管を前提とするのであれば、端的に紙の大きさをA4にそろえ、保管しやすい(ファイルしやすい)形式にするべきだろう。
そもそも紙ベースではなく電子申告するのであれば、この特殊な方式を早く改める必要があるだろう。
昔からある形式を、電子化された時代にも改善することなく、強制してきたといえる。
シンプルな形式にしないと、とても電子申告はできないだろう。
NHK100分de名著を見るようになって、ずいぶんの時間が経過したが、結局、名著だとしても1冊の本だけで満足できるものではない。このことに気がつかされた。
無人島に流されるとして、1冊の本を持っていけるとしたら、どの本かというような問題設定をされることがあるが、それは所詮無理な設定だ。
多くの本があり、そこをさまようことで自分が作られる。