ポジションを探す立場
個人事業主の立場は、世界のデザインを描く側ではなく、眺める側で、ポジションを探す立場だ。
社会がどうあるべきかを考えるよりも、まず自分はどうするべきかを考えるべきだという考え方も同じ。
個人事業主の立場は、世界のデザインを描く側ではなく、眺める側で、ポジションを探す立場だ。
社会がどうあるべきかを考えるよりも、まず自分はどうするべきかを考えるべきだという考え方も同じ。
美術作品の変化を強く感ずる。
カウズは、ストリート系の現代美術作家だが、ディオールとコラボレーションして、2体のぬいぐるみ(各500体)を作っている。
ぬいぐるみは、コンパニオンの変形バージョンだと思われるが、平面ではなく、ぬいぐるみであり、触ることができる。
YouTubeで、ヒカキンが2体を取り出し、両手に持つところまでが、動画になっていた。
現代美術作家は、自分だけで作品制作を完結せず、コラボし、さらに別の人がそれを動画で展開する。
こうした展開こそ、現代を感ずる。
一人の作家が、油絵なり彫刻を制作し、自分の世界に閉じこもっているのとは大きな違いだ。
何年か前、今も満99歳で頭もしっかりした健康な男性と話をしたとき、その人は、人混みを避けたということだった。
有名な場所は、休日は混みあうため、平日に出かけたということだ。
交通手段も、公共交通機関ではなく、自家用車を運転して出かけた。
それだけが健康の秘訣ではないだろうが、重要な点だと感じていた。
最近の新型コロナウイルスから身を守る方法は、人混みを避けるということだ。
新型コロナウイルスだけでなく、それが終息した後も、人混みを避けるということは必要だろう。
人々は、人混みを避けるということをある程度学んだといえるから、今後は、人混みを前提とする行事・仕事は、避けられていくだろう。
在宅勤務ができるようになれば、全社員が集まるような大きな事務所は不要になる。
このことは大きな本社ビルは必要がないと言うことになっていく。
どのような不動産を持つべきかを考えるときに、これまでは事務所系を中心に考えてきたが、これからは住居系を中心に考える必要がある。
住居系といっても、これまでの考え方は変えられる必要がある。
これまでは、集合住宅のような建設するのに効率的な建物が想定されていた。
しかし、これからは個人が充分楽しめる形を考えていく必要がある。
個人が十分楽しめるためには、ある程度の広さが必要だ。
必要最小限の物だけを持つと言う考え方(ミニマリスト)も成り立つとは思うが、それはある程度の物を持って楽しんだ後に、減らすことを考えるときに、初めて有効だ。
最初から物を持たないとするならば、物の価値を判断することができない。
新型コロナ禍のためにステイホームが求められたとき、自宅が部屋数も少なく、狭い場合は、ストレスも多い。
部屋数がある程度あれば、必要なときは1か所に集まるが、普段はそれぞれの空間があるという使い方ができる。
事務所を自宅の外に持つ人は、事務所に行くことによって気分転換ができるという面がある。
自宅にいては、全くプライベートスペースがない場合、離れたところに事務所があれば便利だ。これが自宅の外に事務所を持つ理由だろう。
安全は、客観的な判断を前提とするが、安心は、それぞれの人の主観的な判断に基づく。
このため、安全なのに安心できないということや、安全でないのに安心しているということが生じる。
安全なのに安心できないとなると、過剰な安全を前提とすることになり、コストは大きくなる。この結果、負担を強いられるのは、弱者だ。
ところが、弱者が安心に一番敏感なのかもしれない。安全なのに安心できないというのは、弱者に多いと思われる。強者は、安全が崩れた場合でも、何らかの対応ができると考えており、また、それを実行できる。弱者は、何もできないところに追い込まれる。
このような状況から、強者は、コスト高を仕方がないととらえているのに対して、弱者は、コスト高を負担できないところまで放置することになる。
収益不動産を選ぶとき、物件の利回りを重視することが強調されることがある。
しかし、エリアごとの利回りを検討すると、利回りが高いエリアは、人気では落ちるエリアだ。
債権の価格と利回りの関係に似たところがあると思う。
したがって、物件の将来性を考えた選択をするべきだ。
物件の利回りと借入の金利を比較検討することは必要だが、全体としてキャッシュフローが回るのであれば、人気のエリアを選ぶべきだ。
物とマネーは同額ではない。物権以外に債権がある。
基本的な生活は、物で行われる。債権は、蓄積であり、余剰物にすぎない。
しかし、債権は、安全や効率のためにできた世界であり、人間の知恵が働く世界である。
このため、債権の世界は、法律的にも多くの規定ができ、複雑化する。
この原点を忘れると、バブル化する。
SFの世界にあるように、人間が体を離れ、脳の中だけの世界で生きる時代が来れば、物の消費は著しく低くなるだろうから、物から離脱した世界も考えられる。
金融緩和とは、物を離れて、余剰物の世界を拡張することである。
理屈の上では、余剰物の世界を拡張すれば、物にも何らかの影響があると思う。
しかし、余剰物だけの世界に限定された動きはあるようだ。
金融機関から借入をして不動産を購入するとき、通常は、返済を担保するために、借入金額を基準として、普通抵当を設定する。
しかし、こうするとその返済のためだけにしか担保として使えない。
将来もそれを担保として利用するためには、根抵当にする必要がある。根抵当であれば、その極度額の範囲で、他の借入のための担保とすることができる。
将来も不動産賃貸業を展開するのであれば、根抵当にする必要がある。
ただし、根抵当も、設定された極度額がいつでも使えるものではなく、金融機関のその時点での査定が重要となる。
その査定は、かなり保守的(厳格)であり、極度額が5200万円と付いているものでも、金融機関の査定は2200万円にすぎなかった例がある。
極度額は、ある時点での借入額をそのまま付けただけという面がある。
AIの判断は、そのプロセスが分からない。
したがって、何かのルールに基づいた判断だとは思うが、受け入れられないことも多いのではないかと思う。
テレビの話題として、AIの判断で思ってもみないものが話題になる。
AIの判断は、一つの参考意見だと考えている。
しかし、将来、AIの判断の合理性が判明してくれば、人は、AIの判断を重んじるだろう。
インターネットを利用することが多くなると、注目サイトをブックマークに登録する。そのブックマークは、フォルダで体系的に整理できる。
その整理の仕方こそ、資料や本の整理と同じように大事になる。
整理の体系は、探したいブックマークをすぐに見つけるために必要だが、その効能は、それだけではない。
自分のなすべきことに盲点がないか探したり、新しい視点を見つけることに効能がある。
整理の体系に合わないブックマークが出てきたりすると、その体系に検討の余地があることが分かる。
そのときこそ頭を働かせるべきだ。
整理の体系に合わないものが複数見つかれば、その共通点から、何か気がつくだろう。