相続で残しておいて欲しいもの

財産的価値があり、換価しやすいものは、多くの人が残してほしいと考えているだろう。
現金、預金、上場株式

換価しにくいものでも、財産的価値があるものは、残してほしいと考えるだろう。
不動産
 残された人が使いにくい大きさ、間取りであると、敬遠されるが、処分してしまえばいいとも言えるだろう。

絵画
 残された人の趣味に合わないときは、処分されてしまうだろうが、金額の問題だろう。

非上場株式
 今後も会社を支配していきたい人・それを支援していきたい人にとっては、重要なものだが、そうでない人にとっては換価に困るだろう。

財産的価値があるかどうか分からないものは、困るだろう。
書籍、資料、写真、記録など
 こうしたものは、残された人が困るから、生前に処分するべきだという意見もある。

 しかし、実は、こうしたものこそ、これからは大事になると考えている。
  処分されてしまうと、残された人にとって、再現できないからだ。
  戦争をしてはならないのは、こうしたものを残し、歴史を伝えるためだ。

歴史を伝えることが、これからの戦略として非常に重要だ。
この観点から考えると、動産も、何を・どのように残すかはよく考えられるべきだ。
残せないのは、多くはスペースの問題があるからだ。スペースがある限り、残していき、将来の世代に、始末の仕方についての判断を待つのがいいと思う。
将来の世代にその判断を求めることは、余分な労力をかけることになるという意見もあるだろうが、何もないことでも将来の世代は困るだろう。

動産は、ただ残されても、その意味が分からなければ、将来の世代は困る。何らかのコメントも同時に残すべきだろう。
形見分けがあるように、亡くなった人が使っていたものは、その歴史が残っていると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月10日 | Permalink

充実の次に考えること。

仕事のやり方は、自分に与えられた時間の許す範囲で、仕事を終えるようにする。
こうすれば、自分のなすべき仕事の全体をとられていれば、その中の何かができなくなると言うことはないだろう。
時間が限られているのだから、できなかった仕事もあるではないか、と疑問に感じられる方もあるかもしれない。
しかし、何もできていない形となっても、自分の中では、次に続く形となっていれば良い。
(もちろん、時間の許す範囲で、仕事を終える場合でも、何らかの手当ができていることがふさわしいとは考えているが。)

こうして仕事に取り組み、「精一杯生きている」と感じられれば、充実してくると思う。

しかし、このやり方だけでは、気持ちの面で、足りないと感じられるはずだ。
対応を修正していく必要がある。

では、どうするか?
新しいものを取り込む工夫が必要だ。それを仕組として作るべきだ。

自分のなすべき仕事の全体について、何かをやめてみることも大事だ。
ここからは、必勝法があるものではなく、変化をつけることだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月03日 | Permalink

スマホやパソコンの映し出す世界のみで、いいか?

地下鉄では、8割以上の人がスマホとにらめっこしている。
歩きながら、スマホを見ている人もいる。

スマホが映し出す世界は、刺激的で、想像力に富むものなのかもしれない。

しかし、スマホを見ながら歩く人のそばに咲く植物は、かえりみられない。
現実のものが持つ不思議さ・美しさが、直接、眺められることもない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月29日 | Permalink

マネーは、いつでも価値があるのか?

経済学を専門にする人からは、「何も知らないんだね」と言われそうだが。
また、お金では手に入れられないものがあるという議論からも離れて。

世の中の財物は、いつでもマネーで手に入れることができると考えられている。
マネーの信用が、絶大だとも言える。
この結果、すべてのものは、金銭評価される。すると、財物よりもマネーに価値があるように考えられていく。
 
しかし、そもそも生活を成り立たせているのは、財物であって、マネーそのものではない。
財物に視点を置く考え方であると言ってもよい。

インフレかデフレかといった議論を離れ、財物の組立として自分の生活を考えてみる。
不動産がいくらかといった問題は、この際、関係ないと考える。
人口が減少するから不動産価値は下がると考えるのではなく、人口が減少したときに、自分はどの範囲の不動産を支配・コントロールするかを考える。
金銭評価を意識せず、自分が不動産をどう利用するかだけを考える。

長期に渡り、利用だけを考えていくと、世界は違って見えてくる。
注:利用の中には、賃料を得ることを考えることは、含まれる。

株式は、どのように考えればよいか?
市場価格があり、価格は変動するが、その価格に視点を向けることを重視するのではなく、会社そのものと、自分を中心とするグループとの連携を重視する。
価格変動ではなく、会社そのものを見ることになる。

現金・預金は、どのように考えればよいか?
自分の生活を直接形作るものではなく、仮の姿のものと見る。
キャッシュリッチは、精神的には安定を感じさせるかもしれないが、あくまでも仮の姿であり、その移る先を考えるための道具となる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月26日 | Permalink

「くそっ」と思ったことがあるのは、必要なことだ。

1804年
渡邊崋山(登)(12才)にとって生涯忘れることができない1つの事件があった。
登は、日本橋付近を通行中、登と同年輩位の若君の大名行列を冒してしまった。このため、衆人環視の中で散々打たれたり蹴られたりの辱しめを受けた。このとき、登は、燃えるような発奮が起きた。(「崋山渡邊登」7頁)

1857年
渋沢栄一(1840年生)は、農耕・養蚕のほか、藍玉の製造・販売を営む豪農の家に生れた。代官から御用金の申し付けを受けた際の侮辱・嘲笑に憤慨した話(17歳のとき)(青淵百話)が残されているが、封建制・身分制を笠に着て、経済力・能力に秀でたものに対して理不尽な行為をすることを、心から軽蔑した。(山本七平「渋沢栄一 近代の創造」37頁)

これらは、封建時代に対する近代の感性が生じたとき、ともいえるだろう。
封建制・身分制の中で、血縁により有利な立場に生れた者の中には、相手を侮辱・嘲笑する者もいる。しかし、血縁により有利な立場に生れたというだけで、その者が自分の力で獲得したものではないものを振り回しているだけで、優れた者とは言えない。

こうしたことは、程度の差はあれ、現代でも起こっている。
自分で獲得したものでもないのに(親から譲り受けたと言うだけで)、その格差を誇る人は、どこにでもいる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月19日 | Permalink

現実的に見た会社の姿

1人1人が、会社という場を借りて、自分でビジネスをするという感覚の人が集まる会社が、伸びる会社の姿だろう。①
(もちろん、自分でビジネスをするといっても好き勝手ができるということではなく、成果を上げるために、コントロールは受ける。)

しかし、多くの人は、このようには動けない。あくまで雇われ人の感覚でいるだろう。

また、後輩が働いて先輩に配当するのが、組織の姿だろう。②

①と②により、自分でビジネスをできるようになった後輩が、自分でビジネスをできるようになり、その指導をした先輩に対して、報いていく形となる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月08日 | Permalink

コレクターのあり方

考えるべき点は次のとおり。

何を選ぶか?
自分の好みで選べば良いとする考え方があるが、他の人の評価も考え合わせる方が合理的だと思う。

第3者から、作品を、無償ないし低額で、譲り受けることは、間々あると思う。
 第3者としては、作品を大事に扱ってもらえれば、それが何よりと考える人も多い。

 こうした場合は、素直に作品を持って、飾り、味わうべきだと思う。
  保管場所を必要とするが、何でも売り払うという感覚では、自分が広がらず、人生を楽しめないのではないかと思う。
 特に、親が持っていた作品は、親の気持ちをよく考えてみるべきだと思う。


いつまで所有し続けるか?
作品管理のスペース・費用を考えると、取得している範囲を限定することは合理的だ。

所持して楽しんだら、手放してもいい作品はあると思う。
 時の経過で、感覚は変化していくものだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月06日 | Permalink

資産管理会社のあり方は、人それぞれだと感ずる。

自分なりに資産管理会社を持ち、それを試行錯誤で運営してきて、だんだんとその使い方が分かってきたと思っていた。

ところが、当然のことながら、世の中には、資産管理会社を持つ人が多くいて、そのやり方を見ていると、自分と違うことが多いことに気付く。
特に、事実上、これまでは上手くいっているが、法的には問題と考えられるところが多い。

資産管理会社のメリットは、次の点。

1 親族を含め、多人数が関係している場合、紛争を事前に予防できること。
代表者の改廃ができる。
 その仕組を明確にすることで、親族間の牽制ができる。

会社制度を利用することで、意思決定ができる。
 共有のままでは意思決定ができない・ないし困難な場合がある。

2 経費化により、税の支払による流出を減らすことができる。
給与の支払(分散)

個人で所有していたのでは、経費化できない支出がある。それを経費化できる。

こうしたメリットが使えるためには、法的な判断は必要だ。

資産(不動産)は、個人所有のままとして、資産管理会社が賃借を受け、貸し出す形をとるケースがある。
これは、個人所有者が何人かいる場合、管理の一本化をするためであり、給与などの経費化を目的にしている。
しかし、個人所有者は、相続で多人数になっていき、最終的には、管理は困難になるのではないかと考えている。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月31日 | Permalink

紙の本・資料・定期刊行物を、どうするか?

こうしたものは、図書館か、本部かに行けば、いつでも見ることができることが多い。

私は、自分にとっての記録のように保管してきた。
いつか振り返って読むことがあると考えていた。

しかし、さかのぼって見なければいけないことは、ほとんどなかったというのが現実だ。

紙は、検索がしにくいし、朽ちていく。
自分が読んだ本を、自分と同じだけ時間をかけて読んでくれる人は、親族でもいないだろう。

結局、紙の本・資料・定期刊行物は、自分が利用するかどうかがほとんど全てで、自分が利用しないのであれば、捨てるしかない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月23日 | Permalink

昔のままの仕組で、やっていないか?

パソコンのソフトは、バージョンアップが急だと、分かっている人は多いだろうが、慣れたソフトは使いやすいものだ。しかし、慣れた人が使いやすいということだと理解する必要がある。

ソフトだけでなく、パソコンそのものも、それが欠かせない分野は変わってきている。

ビジネスの上で必要な機能も、スマホなどが行き渡った現在、何によってそれを行うのか変化している。

こうなってくると、誰かが先頭に立って仕組を作るという形がいいのかも、疑う必要があるだろう。

組織に参加する個人が、自由におもしろく仕事を進めることができればいいのであれば、会社が先頭に立って走るよりも、参加する個人の間で何を使うか決められていくのがいいように思う。

もちろん、全員が利用するものであれば、会社で決める必要はあるだろうが、全員が利用するのは一部でよく、チームごとに分散した形でもいいように感ずる。何が何でも統一するという時代ではないと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月18日 | Permalink