一貫性と新規展開

自分は何をし続けなければいけないかを、自分に知らせる仕組は必要だと思う。
 仕組というと、難しいことに感ずるかもしれないが、経営者であれば、自分が注目する数字(自社のものであることが多いだろうが、それに限定されない)を常に見続けるということである。

こうした仕組があると、一貫性が生れる。

しかし、一貫性だけあれば良いかといえば、それだけでは視野が狭くなり、ジリ貧にもなりうる。
新規展開ということを常に意識する必要がある。

そのためには、自分が注目する数字以外にも、何か必要なものに気付く必要があるだろう。
この仕組を作ることは難しいのではないか。

視野を広くして、何事にも関心を持とうと心掛けても、それだけでは効果は限られている。
何か日常の行動に落とし込む必要がある。

何かを見たり、聞いたり、読んだりしたときに、必ず1つ、「このことは」と気付くことにし(何もないと終わらせるのではなく)、それをマーク(付箋を付けたり、資料を切り取ったり)し、それを常に集積していく。

何事も集積が進むと、人間、何かを考えるものだと思う。
 集積したものを、分類してみたり、展開してみたりして遊ぶ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月19日 | Permalink

自信と柔軟さ

日大アメリカンフットボール部の監督の絶対的立場が話題になっていた。
 監督の下の人は、はむかうことはもちろん、意見すら言えない関係だという。

自分の立場との格段の差を感じる。
 家族も含めて、私の周りの若い人たちは、言いたいことを言っているように思う。
 
私が、年齢からくる経験、研究・調査からくる知見、時間をかけた検討から、一定の見解を出しても、対等に反論を出してくる。私から見て、明らかな誤りと判断できることでも、自信をもって反論される。
 (注)私は、立場上、最初に意見を出すことはしない。他の人の意見を聞くことは、常に行っている。また、裏付けがあることを重視している。

私にはそれほどの権威がないのかとも思うが、私よりも格段に成果を出し、社会的に高い評価を受けている人でも、社内では、思ったとおりに、言うことを聞かせられないという(書籍での記述)。

身近にいて、その日常を知る者は、小さな粗(あら)を見ているために、本質的な事柄に気がつかないものだ。

若い人が、自信もって発言することは悪いことではない。
しかし、自分がどこまで全体を分かっているかは、よく自覚するべきであり、自分の知覚の方法は、柔軟にするべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月18日 | Permalink

本は、厚すぎるのではないか?

自分が読んできた本が棚に並んでいるが、その背表紙を眺めながら考えていると、いろいろなものが頭を横切るものだ。

読んだ本の背表紙を見れば、その本の印象は思い起こすことができる。
しかし、細かいところは、あらかた忘れてしまっていることも多い。

それぞれの本で学んだことが、手短に語ることができれば、それで十分なのかもしれないが、語ることができる内容は本当に短いものだ。
語る内容よりも、その本をきっかけとして自分で行ったことの方が重要だろう。

本は、ある程度の量がないと、自分での行動に移せないのだろうか?そんなことはないだろう。
むしろ量が多すぎると、自分での行動に移せないだろう。
 本を読むこと自体を楽しむのであれば、本の分量が多い方が、楽しめる時間も多いのかもしれない。私の読み方とは異なるが。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月17日 | Permalink

不動産を買うことの意味は、スペースをどれだけ持ち、そこで何をしたいかということだけだ。

人口減少で不動産価格が下がることはあるのだろうが、マネーでどう評価されようと、自分はスペースをコントロールしたいだけだ。荘園領主、戦国武将と同じように、マネーの評価を気にすることはない。

人口が減っていく社会であっても、自分はスペースをどれだけ持ち、そこで何をしたいかを考えるだけだ。

人間は、実体のあるものとして生きている。
 人間の体が不要になり、脳だけの存在となり、脳内の変化だけで楽しみ、生きているといえるのであれば、スペースの意味は、限定的になるのかもしれないが、それは空想の世界だと思う。

実体のあるものとしては、自分の周りであるスペースをコントロールしたいと思うだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月13日 | Permalink

人口が減って、不動産が余ってくるならば、どうするか?

余る不動産は、値が上がらないから、投資対象としての魅力に欠けると考える人がいる。

しかし、人口が減るということは、1人あたりの不動産が広くなることだから、それぞれの人は、自分が所有している不動産を広くできる機会があると考える道もある。

その意味は、必要もないのに所有不動産を広くすることを考える必要がないだろうが、現在の所有不動産の環境を良くする必要があるならば、それを行うチャンスがあるということだろう。

広すぎる家は扱いづらいが、少し広くなることで、大きく変わることはあるだろう。
こうしたことは、数値で表わしにくい場合があるが、投資判断を、質的なものにとらえ直すべきだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月12日 | Permalink

未来の人は、私のことを、記録文書を残した人だと思うかもしれない。

 記録を残したといっても、あまりに煩雑・大量であり、読む気がしないかもしれないし、読む人の時間を奪うのではないかと恐れている。
 生きていて、いろいろなものに接し、自分が気がついたことを後進に伝えたいと思う。しかし、自分の現在を生きることにも時間をかけざるを得ず、記録を整理する時間も限りがある。
 気がついたときに、簡単に印(しるし)を付け、時間があるときにコメントし、体系化する。後に必要がないと判断すれば捨て、読み返して別のとらえ方ができれば、またコメントする。体系が完成したと思っても、時間が経過すれば、体系は修正するしかない。
 ファイルの背表紙に書かれた題は、それが集まれば、現在の自分の体系である。ファイルの中身は、離合集散し、ファイルの背表紙に書く題は、変わっていく。自分の体系は、常に変容していく。
 「過去を見る眼が新しくならない限り、現代の新しさは本当に掴めないであろう。」(「歴史とは何か」E.H.カーⅳ頁)という立場から、記録の整理もし、未来を考える。これをどこまでも繰り返していくつもりだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月11日 | Permalink

「貧乏から抜け出すには、学問しかない。」

この言葉は、学問の場を学校に置いているだろう。
私は、このような考え方がある時代に育てられたので、実感として、この発言はよく分かる。同感もする。

しかし、学問に限定するべきでないことは、現代では明らかだろう。

むしろ、学問にどれほどの力があるか、疑問が出てきているのではないかと思う。
孤立して学問を究めるよりも、学校などの人間関係の中でプロジェクトを進めることの方が、貧乏から抜け出すには有効だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月05日 | Permalink