「異なる種類の活動を同時に行なう」と言えるか?

個人事業主として生きてきた人にとっては、異なる種類の活動を同時に行なうということ(ポートフォリオ・ワーカー)は、あたりまえのことだと思うが、自分の活動が「異なる種類の活動を同時に行なう」ことになっているかは、注意が必要だろう。

取り扱っているアイテムが違うからと言って、異なる種類の活動を同時に行なっていることにはならない。
ひとつの仕事の流れの中で、工程が違うからと言って、異なる種類の活動を同時に行なっていることにはならない。

個人事業主でも、昔から同じことを、広がりもなく行っているだけという人もいるだろう。
そのような人は、ある意味では幸せに生きてきた人だと思うが、いつまでもそれが続くものではない。

自分自身で多様な世界を経験し、自分の世界を広げていくことは、楽しいことであり、成長するためには不可欠だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月27日 | Permalink

ポートフォリオ・ワーカー

異なる種類の活動を同時に行なうステージとして、「LIFE SHIFT」(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著)で紹介されている言葉である。
 「LIFE SHIFT」は、人生を100年近くあるものとしてとらえ、働き方の3形態の1つとして示している。

しかし、個人事業主として生きてきた人にとっては、異なる種類の活動を同時に行なうということは、あたりまえのことのように思われる。
私にとっても、自分のこれまでの働き方は、ポートフォリオ・ワーカーのステージなんだ!と、呼び方を知れば、それはそれで気付かされるものではあったが、あたりまえのことのように感じた。
 会社に勤める人にとっても、あたりまえのことのようにも思うが、多くの人にとっては、新鮮な指摘だったのかもしれない。

個人事業主は、先ずは、自分の仕事で家族が生活していくことを考えなければならないし、それだけではなく、知的な刺激も必要であり、より豊かになるために、信用・評判を獲得することも考える。
幾つもの動機に突き動かされて生きるというのは、個人事業主であれば、あたりまえに経験していることだと思う。

「LIFE SHIFT」の指摘を読んだとき、個人事業主は、あたりまえと感じていることに改めて気付き、個人事業主の特徴を明確にとらえるべきだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月26日 | Permalink

インターネットの一番の効用は、無人で対応できることだと思う。

もちろん、メールなどの対応も必要であり、すべてを無人とするためには、それなりの工夫が必要だ。
しかし、人を通じた営業を中心とする企業と比べれば、人を省いているといえるだろう。

今の時代は、「人づて」と「省人」の組み合わせが大事だと思う。

ところが、人間関係づくりにだけ注力する営業活動が多いように感ずる。
また、直接の企業活動ではないが、現実に会合を持つ異業種交流、SNSによる評価なども同じだと思う。

しかし、本来は、仕組を作り、人がその仕組を利用できるようにして何らかの利益・便利さを得られるようにするものの、その仕組自体は省人化して、コストをかけないことが望ましい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月20日 | Permalink

不満・不安はどこから出てくるか?

多くの人は、自分の理想との間で格闘・葛藤している。

何もすることがなくて、不満・不安が生じる。

多くを獲得した人を羨み、自分にそれがないことから、不満・不安が生じる。
 しかし、例えば、コレクターのように美術品を多くを獲得したとき、それを見せることに満足感が生じるのかも知れないが、1つ1つの美術品の意味をしっかり理解していなければ、単なる見栄でしかない。
しっかりした理解が、本来の満足だと思う。

このことは、書籍に切り替えると、もっと分かりやすい。
現時点で流通・販売されている世界中の書籍を集めても、特別な本でない限り、その金額は、知れているだろう。
その金額を出して、世界中の書籍を集めてみましたよと、陳列してみても、おそらく意味はないだろう。
その人が書籍の中身を理解しているのか、他の人が書籍を見ることができて役立てることができるのか、などが問われるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月13日 | Permalink

生活を1から考えると。

立って半畳、寝て1畳、の住まい
 効率を追求すれば、負担はある程度押さえ込める。

 見栄ではなく、自分の希望を実現すればよい。

働く場所
 働かなくてもいい人はどうするかという問題もあるが。

 自営業であれば、選べるが、勤務者は、選べないことがある。

 住まいから働く場所までは、電車か自動車を利用することになる。
  電車であれば、住まいと働く場所の近くに駅があるかの問題となる。
  自動車であれば、駐車場の問題となる。

生きる楽しみ
 食事は、ピンキリだろうが、食べられる量は限度があるので、費用にも自ずから限度がある。

 着るものは、ピンキリであり、所有の限界はない。しかし、実際に着るとなったら、機会は限度があるだろう。

 自然に触れることは、公園でもできる。自分の庭との違いは、自由に手を入れることができないこと。
 自分の庭は、自分が手をかけなければ荒れ放題となる。自分の所有だと考えれば、草木の名前も覚える。

 ゴルフ、テニスなどのスポーツは、他の人と共有する施設で行うことになる。自分でそのような施設を持つことは、通常は無駄だろう。

 旅行は、特別な場所でなければ、費用はそれほどでもない。
 むしろ、現役で働いている人は、時間をどのように確保するかが問題だろう。しかし、休みをまとめて取ることができる時代になりつつある。

 交際には、食事など経費もかかるが、それほどのものでもない。税務上、経費化できれば負担感はそれほどない。

 ギャンブルは、私はしないし、多くの人はしないと考えている。余裕の範囲で、するかどうかの問題。

 名誉は、欲しい人は、欲しい人に任せればよい。


こうして考えていくと、多くの人は、実現しているのではないか?
不満・不安があるとすれば、別のところから出てくる問題だろう。

このような時代に、企業家は何を提供するかは、難しい問題があると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月11日 | Permalink

この世の中は、自分で創り上げる人と、相続などにより与えられた人との競争で成り立っている。

自分で創り上げた人も、創り上げたものをどうするかにより、与えられた人が出てくる。

相続などにより与えられただけなのに、自分の力だと感ずるのか、偉そうな人も多い。
自分で創り上げる人も、プライドが妙に高い人もいる。

事業主は、自分の立場をきちんととらえて、進め方を考えるべきだ。

与えられた人は、そこまでのプロセスを知らないことが多い。
いや、自分は親のそばで苦労を見てきたから、プロセスも知っていると思うことがあるかもしれないが、発想や判断は、そのすべてをとらえられるものではない。
与えられた人は、謙虚に、多くのことを学ばなければならないだろう。

自分で創り上げる人は、相続などにより与えられた人と比べれば、格差があるのは確かだ。したがって、プライドこそが力の源泉だとは思う。
しかし、格差を乗り越えるために無理をしたり、逆に絶望したりすることは必要ない。
なぜなら、自分一代で考える必要はないからだ。あわてずに取り組んでいけばよい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月06日 | Permalink

スモールM&Aを、どのようにとらえたらよいか?

  1. M&A

M&Aは、有人企業が対象だと思われる。
 人を使わなくともよい無人企業は、単に投資の対象であり、投資で完結するため、M&Aとは別の理解をされるだろう。

有人企業の場合、人を使う難しさがあるため、M&Aの対象となる。
 人を使うことが大変で、やめたい(譲渡したい)場合もあるし、人を採用しにくい(有用な人が見つけられない)ため、有人企業を買いたいという場合もある。

小規模のM&Aの場合、雇われている人が、現在の経営者(所有者)との縁が強く、M&Aが行われたとき、人の定着に問題を生ずる。
人の定着に問題があれば、結局、その企業の収益性を低く見積もることになり、M&Aの価格は非常に低くなる。

小規模のM&Aの場合、ビジネスモデルが確立していて、人の入れ替えも容易でないと、譲渡する側としては、満足のいく金額とはならない。

事業主を目指す人の中には、小規模のM&Aで安くビジネスを入手して事業を開始したいという人もあるだろうが、事業には何らかの難しさがあることが一般的であり、その難しさを理解していないと失敗する。
 同じようなビジネスの経験がないと、自信もって始められないことが多いだろう。
 譲渡したい人は、同業者への譲渡を考えないといけない場合が多いと思われる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月05日 | Permalink

自分の外は、汚辱に満ちた世界だと、とらえるべきだろう。

自分の外にまで、自分の延長した世界があると考えると、間違えるだろう。
 自分の外で何か損害を与えれば、思わぬ賠償責任が出てくる。
 自分の外で何か気軽に話をしたところ、録音されていて、外部に出てしまうこともある。

自分の外は、汚辱に満ちた世界だと、とらえるくらいが必要ではないかと思う。

それは余りに自分中心の感覚だと思われるかもしれないが、油断を生じさせないためには必要な感覚だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月31日 | Permalink

自分の統一性

 自分は、多くの可能性の中から1つを選びながら生きている。その連続だ。こうした生活の中で、自分の全体を統一的に表現することは難しいと感じている。つい、もっと別の選択があったのではないかと考えてしまうのだ。
 記録は、できる限りとっているが、昔の記録は、それが自らが書いたものでさえ、忘れてしまう。したがって、ますます自分の全体を統一的に表現することは難しい。
 しかし、一人の人間が考え、行動した結果には、何かしらの統一性が読み取れるだろう。それは、本人にも分からないところだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月25日 | Permalink

仕事の仕方や生活の仕方で、華やかさを示すことで、ビジネスにつなげる進み方があるようだ。

費用を使うことについて、しぶくする(ケチを貫く)ことで進む道がある。

これに対して、華やかさを示すことで信用を得て展開する道もある。
 こちらの道は、節約を美徳とする世代には理解しがたいところがあるかもしれない。

 華やかさを示すことは、運が必要で、いつまでも続かないと考える人も多い。

華やかさを示す道とは、あいまいな表現かもしれないが、テレビコマーシャルを流すことと同根だ。
 テレビコマーシャルの位置づけは、ネットの時代が進む中、変化してきているだろうが、いまでも影響力はあるだろう。

 広告だけで発展する事業もあると思われる。

時代の変化をとらえれば、華やかさを示す道は、成長が速いだろう。

自分では華やかさを楽しんでいるだけで、そのことがビジネスにつながることはある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月24日 | Permalink