時間の節約

定番の商品は、実際の店舗ではなく、ネットで購入する。
 買い物時間が不要になる。

テレビは、録画して、コマーシャルを飛ばしながら見る。倍速で見る。

本は、新規も古本も、ネットで検索して購入する。
 特に、参考文献として紹介されている本を、実際の店舗で探しても、まず簡単には見つからない。
 古本であれば、闇雲に実際の店舗に入っても、まず見つからない。
 実際の店舗は、立ち読みや書店の雰囲気を見るためにだけ行く。

顔を見合わせて行う必要がある会議は、実際に出席するが、そうでなければ電話会議で済ませる。
 テレビ会議であれば、実際に出席する会議に、より近いが、五感を動員できる会議とは違いもある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月22日 | Permalink

旧弊に引きずられる性格

日本人は、良いところが多いと思うが、問題もある。

基本的に、旧弊に引きずられる性格がある。保守的だ。

国の財政健全化が、いつまでたってもできない。

効率を簡単に犠牲にする。
 ただし、効率を一番として重視しないことにより、神業的な職人仕事が生れるのではないかとも思う。

ドグマで判断しすぎる。
 安全重視だとなると、可能性のきわめて低いリスクまでとってはならないと考える。
 高齢者福祉となると、金科玉条のように優先する。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月18日 | Permalink

自分のことを考える。

自分と他人を比較することは、自分を高めるために必要であるが、妬みや羨望に結びつくこともあり、取り扱いが難しい。

しかし、自分の好きなこと、得意なことを見つけたら、そのことを突き詰めていくと、妬みや羨望と無関係でいられる。この道が、自分のことを考えるということだ。

こうした道を歩んでくると、年齢とともに、自分は世の中の大半の人と違ってきてしまったと感ずるだろう。
それは群れを作ることとは無縁であり、孤独だと感ずるのかもしれないが、気持ちの良いものだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月15日 | Permalink

自分でしゃにむに働いて収入を得る形から、脱出しよう。

はじめの一歩は、自分でしゃにむに働いて収入を得る道だろう。
しかし、いつまでもその形であってはならない。
 なぜならば、生きていくことは、いつでも人との関係で評価される。したがって、人との関係を作っていくべきだ。
 人が働いて、自分に収入をもたらす仕組は、搾取ではなく、機会を作ることだ。

人が働く機会を作ることで、事業主となる。(もちろん、資産だけが働いて収入をもたらす仕組もあるだろうが。)

誰かに雇われて働く場合、事業主ではないのだろうか?
 誰かに雇われて働く場合、働く先に依存せず、雇われ先を変えていくことができるならば、事業主と同等に考えてよいだろう。

事業主となったとき、自分を支えるものは何だろう?

事業主は、思想、表現、行動の自由権が基本として必要だ。この自由権を、気持ちの面で感じさせてくれものが大事だ。

自由であるためには、自分の所有物(ここでは、人を所有物とは考えていない)を持つ必要がある。
 すべて借りたものでも、ある程度の自由は楽しめるだろうが、制約も多いと思う。
  例えば、本は、自分の所有物であれば、書き込みができる。
  庭木は、自分の所有物であれば、剪定することができる。

 所有することは、大きな影響を受けることにつながる。

 しかし、自分の所有物は、多ければ多いほど良いというものではない。

そこで、自分の所有物として何を持つかが問われる。
 自分に影響を与える本、作品、食事など、選択はいろいろある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月11日 | Permalink

事業主として働くことの良さ

事業主が減りつつある中、事業主は、事業主であることの良さをしっかりとらえるべきだ。

仕事を選べる。
 仕事を選べないことも多いとは思うが、嫌であれば、最終の判断は自分でできる。

仕事の進め方は自分で考えられる。
 もちろんそのやり方が良いかどうかは、評価される。

出世競争はない。
 同業者との競争はあるが、成果物とは別のしがらみは、嫌ならば無視できる。

「忖度」は、不要だ。
 力がなければ、相手に合わせないといけないことはある。
 しかし、地位の差からくるおもねりは不要だ。
  もちろん下請の立場は、地位の差といえるが、同じ企業の中で地位の差が固定しているものとは違い、他の道を模索できる。

所有できる。
 勤労者は、会社・役所から備品を借りる。
 これに対して、事業主は、人から借りても良いが、所有することもできる。所有をきっかけとして展開するものは多い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月09日 | Permalink

所有することを念頭に置いた調査・鑑賞

所有しない生き方が評価されている。
 その方が経済的に合理的だという判断だ。

しかし、所有することを念頭に置いたとき、人は真剣になる。この意味を忘れてはいけないと思う。
 美術作品を「美しい」と漫然と見ているだけではなく、どれを所有するかと真剣に悩むと、見方は違ってくる。
 所有すれば、その作品を手元でじっくり見ることができるため、その作品に対する研究も違ってくる。

所有することが突破口となって、そこから広がることは多いと思う。

所有することは、大金持ちでなければ、その対象は限定される。それほど高価なものは、入手できない。
しかし、この制約は、逆に集中へと転化できる。

対象が限定されているため、研究の対象が絞られる。このため、深く研究することができる。

高価なものでなくとも、その良さは気がつく。その気がついた良さと、高価なものを見比べると、違いを判断できる。

1点でも所有すると、すべてが格段に違ってくる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月08日 | Permalink

人を助けることが大事だと、刷り込まれすぎている。

このことが当てはまる人は、実際は少数だろうという前提で。

世の中の仕組(政治)として、不幸を和らげることが考えられている。
 生活保護、保険

全て人が、自分以外の全て人を助けることはできない。
 不幸だが助けたくない人も多い。
 現実に助けられない。

世の中の仕組(政治)が人を助ける。これを原則としている。

これだけでは不幸を無くせないため、人を助けることが大事だと教わる。しかし、これは例外的なもの。
多くの人は、この例外を実行できない。それは、それでよい。

ところが、人を助けることが大事だということが、強調される。
例外を少しでも実現するためには必要なことかもしれないが、その刷り込みはきついと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月26日 | Permalink

人を縛るもの

生まれ育った家

最初に選んだ職業

会議の仕方
 立った会議もある。

物事に対する見方
 頑なな人はいるものだ。

目的
 ある目的で手に入れたものが、実は他にも役に立つことがあるが、そのことに気がつかない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月23日 | Permalink

性善説の世界で育った人は、人間の浅ましさを痛感する必要がある。

性悪説の世界で育った人は、楽観を知る必要がある。

しかし、性善説の世界で育った人こそ、自分から1歩出た世界は、闇であると実感するべきだと思う。
自分から1歩出た世界も、自分と同じように、良き人たちの世界だと考えると、そこに甘えが生じる。その甘えは、危機を生む。

自分から1歩出た世界は、闇であると考えるならば、慎重にとらえるだろう。その方が安全であると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月16日 | Permalink

階級社会か?

格差社会から階級社会になってきているという指摘がある(新・日本の階級社会 講談社現代新書)。

しかし、格差の固定化の度合いが強固であっても、超えていく人は、行くだろう。

日本の歴史の中で、階級差があっても、農民、町人は、生き方を探り、力をつけた者もいる。
そのしたたかさを見るべきだ。

江戸時代は、士農工商だと、学校時代に刷り込まれており、その感覚で判断すると誤るだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月12日 | Permalink