群れない。
昼食時に銀行に出向くとき、仲間と連れ立って食事に出かける、サラリーマンと思しき人の群れを見かける。これに対して、事業者は、群れないのではないかと思う。
群れは、居心地がいいのであれば、それを楽しめばよいが、その制約も知るべきだろう。
群れは、居心地が悪ければ、群れる必要はない。
群れない人の集まる会社の方が効率が良いように思うが、適度に仲間意識が生れる機会は必要だとも思う。
昼食時に銀行に出向くとき、仲間と連れ立って食事に出かける、サラリーマンと思しき人の群れを見かける。これに対して、事業者は、群れないのではないかと思う。
群れは、居心地がいいのであれば、それを楽しめばよいが、その制約も知るべきだろう。
群れは、居心地が悪ければ、群れる必要はない。
群れない人の集まる会社の方が効率が良いように思うが、適度に仲間意識が生れる機会は必要だとも思う。
林武のある薔薇の絵は、もともとは古径額に入れられていたものであったが、あるとき手彫りの金色の額に移された。
しかし、手彫りの金色の額に入れると、さすがに林武の薔薇の絵も抑えられたものになる。
このため、絵の所有者は、もとの古径額に戻した方が良いと考えた。
絵の所有者は、良い絵には、それに見合う衣装が必要との考え方から額を選んでいる。
これに対して、絵そのものを見れば良いのではないかという考え方もあるだろう。
額は、基本的には、外からの衝撃から絵を守るものだとも思える。
また、大きな重い額は、絵を飾るときに負担になる。
そこで、例えば、アクリルケースや白木の額に、林武の薔薇の絵を入れることもありうるのではないかと思う。
そうすれば、林武の薔薇そのものを味わうことができる。
この考え方は、絵の専門家や額を扱っている方には、とんでもないものと思われるかもしれないが、現在の私の感覚に近いものだ。
多くの人は、仕事内容の決定・変更について、周りの人の影響を強く受けている。しかも、周りの人の範囲は、きわめて狭い。
学校では、各種の仕事を知る機会がない。そもそも学校の先生は、実社会の経験がないため、教えられない。
結局、仕事内容の決定・変更は、自分で考えなさいという状態だ。
そうなると自分でいろいろ経験してみるしかない。本当は、転職が容易である必要がある。
ところが、多くの人は、仕事の変更は容易でないと思っている。
これは、社会が転職の年齢について厳然とした扱いをするからだろう。
そもそも少しでも良いところがある職場であれば、そこに属しているのが楽である。
一度採用されると、法律でかなり守られている。
しかし、企業であれ個人であれ、全く同じことをしていれば安泰ということはない。収入を維持するためには、常に変化に対応する必要がある。
事業主の矜持(きょうじ)は、ここにある。
雇われている人でも、この矜持を持つ人はいる。
この矜持を持ち、仕事内容の決定・変更を行う必要がある。多くの人は、これが難しいと考えているが、これを実行する必要がある。
特に、自分で事業を立ち上げている人は、親から多くを与えられて安穏としている人を見て、自分の道を明確に意識するべきだと思う。
親から多くを与えられている人も、変化への対応は不可欠なのだから、そのことを考えて、自分の道として明確に意識するべきだと思う。
ネット上に、多くのスモールM&Aのサイトがある。いろいろな案件が掲示されているのを見ると、時代の変化を感ずる。
しかし、自分の事業を持ち、スモールM&Aをしたい人の考えを聞くと、ネットで案件の豊富さが示されているものの、容易でないところも多いと感ずる。
買い手の側からは、ネットで示されている案件の苦労・難しさが、簡単には分からない。
売り手の苦労・難しさを知る者としては、それがそう簡単に買い手にできるとも思えない。
売り手の側からは、事業の形(ビジネスモデル)が確立していないと(多くの買い手は、確立していないと見る)、買い手からは思ったほどの譲渡金額が示されない。
事業用不動産のように、ロケーションの強みなどを判断することは難しい。
結局、よほどぴったりと希望が合わないと、契約は成立しない。
しかし、廃業以外に選択肢がなかったことと比べると、多くの案件が表に出てくることは、良いことだと思う。
また、いろいろな案件を見て、自分の事業を改めて見直すことには、役立つ。
経営者間で、特に親族間で、経営をめぐって争いなることは、よく見ることだ。
それを、簡単に「お家騒動」として、面白おかしく取り上げたり、嘆かわしいことだととらえるのは、表層だけを見るものだ。
経営者間の紛争は、事業の見通しに関するものであれば、そう簡単に優劣はつけにくいものだと思う。
したがって、紛争の調整の仕方は、あらかじめ良く工夫されていることが必要だ。
例えば、持ち株数の配分、社外役員の選定、会議の持ち方等々、よく考えるべきだ。
会社によっては、先代がよく考えていることも多いと思う。
こうした工夫が、現実となった紛争の解決に向けて、働いているかどうかこそ、良く見るべきだ。
それは、「お家騒動」として思考停止するのではなく、回復機能がどのように働いているかを見ることだ。
SNSで出てくる「いいね!」の数、友達数、フォロワー数、アクセス数などの評価を重視する考え方がある。
こうした数字を利用して、新しい評価基準を打ち出すアプリを作る人もいるくらいだ。
これに対して、「老後は銀座で」山崎武也著(154頁)に書かれている、「高級かつ高額なために話題になっているところには、安易に行かないことだ。(中略)評判を聞いてから、多分何度も行くことになるだろうと推測できて初めて、足を運んでみる」という考え方がある。
行過ぎた評価に対して、自分はどのように対応するかは、いつも難しい。
投資であれば、他人の評価が高いため、評価額が際限なく上昇していることは、いくらでもある。
それに乗った方が儲けやすいのは事実だ。しかし、いつそれから降りるかも同時に問題となる。
美術品の高額な落札価格が話題になる。
自分は、とてもそのような値段で買えないので、関係のないことであるが、そのような価値があると考えた人は、そうすればいいことだ。
他人の評価から一切離れることも考えるべきだろう。
自分が好きなものを選んで生きていく道は、落ち着けると思う。
日本は人口減少が不可避であり、不動産の需要は減る一方だとし、不動産に全て消極の人がいる。
日本の地価が3分の1になるという本もある。
大きな傾向として、不動産は値が下がるという面があることは否定しない。
しかし、すべての不動産が値が下がる一方だということはない。
現実に、不動産取引をすれば、すぐ分かることだ。
近時、一戸建てよりもマンション価格が高騰したこともある。
現時点で非常に有利な賃料収入を得ている人も多く、自らの資産状況により、現時点での不動産取得を排除する必要はないと思う。
世の中には、教義のように理屈を振り回す人がいる。しかし、世の中は、それほど単純ではない。
建物の趣、庭の作り方などが、収益性とは別の観点だ。
投資家は、効率だけで不動産を見すぎている。
建物の趣をどう味わうかは、もう少し立ち止まって考えてもいいことだと思う。
その建物を作った人が、こだわりを持ったところを、良く見るべきだ。
庭についても同じことが言えると思う。
庭を作る樹木、草花、岩について、これまで名前すら知らなかった。
樹木、草花、岩の構成の仕方も考えたことがなかった。
剪定の仕方もあまり知らなかった。
ほかっておくと、樹木、草花はどんどん伸びてきて、岩を覆い、見えなくする。
また、種が他から運ばれ、思わぬ所に草木が生えてくる。
庭を作る要素について知るためには、それなりの時間を必要とする。しかし、それは楽しめる時間だ。
近時、一戸建てよりもマンションの値上がり率が高い。
仕事場に近いマンションは、確かに便利だ。
共働きが普通になれば、住まいを便利な場所に置くことが不可欠だ。
しかし、マンションの限界もあると思う。
自分の自由になる草木・庭石を持つことは困難だろう。
庭にある木の名前は、覚える。
一戸建てであれば、庭作りを楽しめる。
動物を飼うことに制約がある。
スペースに限りがある。
コレクションとまではいかなくとも、美術品、工芸品などに関心があれば、増えてくる。
日本の工芸品の精緻さには驚く。
建替え、改装に制約がある。
隣接する部屋に対して、音を気にする必要がある。
一戸建てを持つのであれば、その楽しみを十分に味わうべきだ。
古い木造建物は、防犯面で弱いと感ずる部分が出てくる。
鍵の取り付け方も弱いが、そもそも扉・窓も弱い。
窓のサッシは、断熱性、防寒性で劣るだろう。
どうしても新築が良く見えてしまう。
これに対して、欧米では、建物を自ら改良・修繕して価値を上げ、長く使うことが普通だと聞く。
これは、建物の骨格がしっかりしていることが前提だろう。
古い建物をリノベーションするのは、その建物に何らかの愛着・こだわりがあるか、リノベーションに経済性がなければ、簡単には選択できない。
古い木造建物に、ここに住むこともあり!と考えて、楽しまなければいけないかもしれない。
軽装の建物にも、簡素さの楽しみを見つけることはできると思う。