企業が給料を上げられないのは、当然のことだ。

裁判官は、基本的に、給料は従業員の同意がなければ下げられないとする。
したがって、会社(事業主)は、給料をいったん上げたならば、それに拘束されてしまう。
逆に、給料は、上げなくとも、法律違反ではない。

給料を上げると、社会保険料の事業主負担も上がってしまう。
 社会保険料が上がっていれば、給料が少し上がっても、従業員の手元に残るものは、少なくなる。

こうした状況の中では、給料を上げられないのは、当然のことだ。

もちろん、給料を上げないと、人手を確保できないということはありうる。
しかし、無人化は、今後さらに進むであろうし、従業員を使わなければならない仕事について、根本から見直してみる柔軟さが必要だろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年08月18日 | Permalink

郷土愛

「リニア新世紀 名古屋の挑戦」にざっと目を通した。

内容として期待したのは、リニアで東京と名古屋の関係がどうなるのかの記述だったが、この点は期待はずれだった。

この本は、名古屋の良さをまとめた本だ。「名古屋の挑戦」とあるように、名古屋という地域を我がこととして書かれている。
これが郷土愛といったものかと思う。

私は、岐阜を離れ、郷土愛があるのか不明だ。
これまでは、自分にとって、生活の場、仕事の場としてどこが良いかという発想で考えてきたため、ある地域に肩入れするというよりも、日本・世界全体の中で自分はどうするかを優先して考えてきた。

いろいろな地域に関心があり、調べてきたが、その地域に愛情を持ったということではないと思う。

故郷に帰りたいという声をいろいろな場面で聞く。
私は、なぜそれほど故郷に帰りたいのか、正直よく分からない。故郷に災難が起きたときは、そのような地形なのだととらえ、それでどうするかを考えることが、優先するべきだと考えてきた。

郷土愛は、日本全体を発展させるためには必要な要素だと思うが、郷土愛を利用することにもつながる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年08月07日 | Permalink

不動産に目がないと言われたことがありますか?

自分の仕事の形、住まいの形を考えれば、不動産は基本的部材であって、不動産について検討することは不可欠だと思う。

逆に、不動産を見れば、そこでの仕事の形、住まいの形を想像できる。

「不動産に目がない」と言われても、逆に「不動産について考えないのはなぜ?」と思ってしまうのではないか。

しかし、不動産について十分考えることができるようになったのは、経済力がついてからだとは思う。
 不動産について考えたから、経済力がついたという側面はあるが。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年07月31日 | Permalink

バブル・マネーゲーム

株式取引を見ていると、バブルとはこういうことだ、と感じざるを得ないことがある。
これは株式に限ったことではなく、あらゆるものに現われる。
 美術品、外国会社の取締役報酬など。

ある新しい会社が、同じ業界の大手会社の時価を超えたということも同じだと考える。
新しい会社の技術・手法に一部優れたところがあったとしても、それをあたかも会社全体のこととして評価することに強い違和感がある。
 マネーゲームの世界ととらえるしかない。

マネーゲームから逃れるためには、ある事象が、自分の現実の生活とどのように関連するのかを考えることだと思う。関連のあるものを思考の対象にし、関連の度合いより経済評価する。
こうすることで、バブル部分を確認することができる。バブルはバブルとして扱い、それに巻き込まれないことだ。

「老後は銀座で」山崎武也著(154頁)で、「高級かつ高額なために話題になっているところには、安易に行かないことだ。(中略)評判を聞いてから、多分何度も行くことになるだろうと推測できて初めて、足を運んでみる」という考え方は、参考になる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年07月25日 | Permalink

攻めているのか、我慢しているのか。

いつも先手を取って進める気持ちでやってきた。攻める気持ち。守りも重要だが、自分には守ることを考えるだけの基盤はないと思っていた。

いつの頃からか、攻めても動けないときがきた。我慢のとき。攻めるのに良い時期なのか、その判断を求められる。時期尚早ならば、我慢して待つしかない。
もちろん、ただ待っているのではない。調査・研究しながら待つ。判断のためには、常に調査・研究が必要だ。

リスクも当然にとる。リスクをとるかどうかの判断のためにも、常に調査・研究が必要だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年07月19日 | Permalink

問題は、ヒマにある。

問題は、正直に申し上げれば、暇なのだ。
自由になる時間で何をするべきかを考えなければならない。うまくいっている企業の経営者は、おそらく同じように暇だろう。

そこで、時間の使い方が問われる。何かを考え実行した時、すぐに効果が現れることもあるが、根本の問題の場合、結果が現れるのにある程度の時間を必要とする。その時間は数年かかることもある。追求、検証にはかなりの辛抱が必要となる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年07月07日 | Permalink

資金繰りの事だけを考えていないか。

苦しければ、資金繰りを考える。普通であっても、資金繰りを考える。しかしキャッシュフローが楽になったらどうか。楽になった先に何があるのか。

そこでは、暇、時間ができたときに何をするかという問題が起きてくる。パートナー、友人の希望するところを確かめ、そこから何をするべきかを調べていく必要がある。
これは現実を出発点とする考え方である。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年06月30日 | Permalink

不動産は値が下がる一方か?

海外投資を考えるサイトで、不動産を話題にしたら、人口減少の日本で、不動産は値が下がる一方で、投資対象には考えられないと断言する人がいて、面食らった。
 大きな傾向として、不動産は値が下がる一方という面があることは否定しない。

しかし、すべての不動産が値が下がる一方だということはない。
 現実に、不動産取引をすれば、すぐ分かることだ。

世の中には、教義のように理屈を振り回す人がいる。しかし、世の中は、それほど単純ではない。

結局、投資を考えるのであれば、現実に成果をあげて、自分で楽しめばよい。
自分の知っている世界なんて小さなもので、相手かまわず自分の理屈を主張することは、愚かなことだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年06月26日 | Permalink

住居の移転

たとえば、仕事をする場所を名古屋と決めたとき、住居も名古屋に移すべきと考え、名古屋で住まいを探す。

この感覚は、普通だと思っていたが、そうでもないことに後で気がつく。
 生まれ育った場所に自宅があると、勤務地と離れていても、そこから通勤する。

しかし、戦国時代の大名、豪族は、領地の拡大に伴って城を移している。

住まいは、もっと戦略的に選ぶべきだ。
 引越しをおっくうに思ってはいけない。

震災の後、被災者に、故郷に戻りたいという気持ちを述べさせるテレビのシーンは多い。
 戻ることを応援して当然とする風潮がある。戻りたいと思うのが、人情と考えている。

しかし、どこで新しい生活をスタートさせるのが良いかという判断について、検討するテレビのシーンは少ない。

情緒的になり、判断を間違えている人が多い気がする。
もっと住居の情報を集め、主体的に考えるべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年06月21日 | Permalink

自宅は、賃借が良いか、所有が良いか。

このような議論を、ときどき聞く。
不動産に対する一般的な見方の議論としては、ありうるのかもしれないが、聞いていて、あまり意味がないと感ずる。

良い環境かどうか、それに見合ったコストかどうか、が大事であり、賃借か所有かと議論しても意味がない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年06月16日 | Permalink