やることが遅い人は、なぜ遅いのか?
やることが遅い人は、やるべきことの全体が分かっていないので、遅いと思われる。
やるべきことの全体が分かっていれば、そのための時間がどうしても不足していることに気がつく。必然的に、やることが速くなる。
やることが遅い人は、やるべきことの全体が分かっていないので、遅いと思われる。
やるべきことの全体が分かっていれば、そのための時間がどうしても不足していることに気がつく。必然的に、やることが速くなる。
こう考えた時、自分は何をするだろうか?
現在の経済情勢等について、新聞やネットでいろいろと調べ、これに対応しようとすることは、変わらないようにも思う。
新聞という言葉が出た時点で、古い人間だと思われてしまうかもしれないが。
世間では、いつもスマホを見ている人がいる。こうした人は何をしているのだろう。
アートの評論家系の人が書いた文章は、抽象に関して言えば、形態にとらわれた表面的なもののように感じる。
なぜ抽象なのかというところが、とらえきれていないと思われる。
このような点を踏まえると、作家は、自分の作品について、何らかのコメントをする必要がある。
本だけでなく、文章はどこにでも展開され、動画もあまりにも多い。
その全てを理解することは困難だろう。
したがって、自分に許された時間の範囲内で、情報に接して、その中から見つけられたものを味わうしかない。
AIが、こうした自分に代わり、目指すものを探してくれると考えることもある。
しかし、AIがまとめてくれるものも海のようであり、平凡で形式的にも感じられ、自分で探すことにこだわってしまう。
本を最初から最後まで1字1句を追って読むという方法は、歳とともに止めなければいけない。
また、本に書き込みをするという方法も、煩雑だと思われる。
本は、そこで何を言いたいのかがわかれば、それで良い。
そのためには、その本の骨格になるところを把握し、全体の構造がわかれば良い。
そこで、その本の骨格になるところに付箋をつけて、全体を飛ばし読みでも良いので、早く一読することが必要だ。
付箋をつけたところを、時々は振り返り、骨格として妥当であったかどうかを見直す必要がある。
こうして一読した上で、その本の全体の骨格がわかれば、言葉でその本の言わんとするところを説明できるようになる。
自分の言葉で表現出来るようになれば、その本に書かれたことを実行することができるようになる。
本は、実行まで進まなければ、無駄に終わってしまう。
本を保管するスペースを広く確保することができたので、多くの本を購入してきた。
こうして集まった本をどうするかについては、振り返るといくつかの段階があることに気がつく。
本棚が十分あるということとは別に、もう読むことがないであろう本は、整理のタイミングで売却・処分してきた。
他方、これまでに読んで注目する点には、付箋を貼ってきた。こうした本は、例えば歴史年表にまとめている原稿のどこかに記入したり、別の原稿の1部に記載したりしてきた。
しかし、自分の原稿に全て移し替えているわけではなく、中途の形で、本に付箋を貼ったままのものも多い。
こうした付箋を貼った部分については、どこかで自分の原稿に落とし込む必要があるだろう。
特にテーマは決まっていないものであれば、日記の形式の原稿に落とし込むこともできるだろう。
本の読み方としては、いろいろな場所を紹介する本など、辞典のように使える本もある。
こうした本は、出かけるごとにラインマーカーでチェックしたりして、いつでも取り出して、読み返すことができる。
医学的に見た健康を、普段あまり気にせずに頑張っている人は、年に一回か半年に一回程度定期検査を受けた方が良いだろう。何か問題があれば、早めに発見した方が良いといえる。
逆に、普段から自分の健康に神経質な人は、定期検査は、かえって、精神的に害になることもあるだろう。
健康は、基本的には確率の問題だと考えている。完璧に良い薬や治療法があるというわけではなく、現在の知見で良い可能性のある(確率的に高い)方法を選ぶことで進むしかない。
一戸建てよりもマンションを選ぶ傾向があるようだ。
高いセキュリティシステムを完備。
管理体制が充実している。
立地条件が良い。
庭は手間がかかる。
しかし、マンションが良いのは、老齢になり、夫婦2人だけになる場合などに限定される気がする。
マンションでは、広さを求めることは、容易ではない。価格がかなり上がるだろう。
広さは、保管できるものが多くなり、自由度が上がると思う。
広さがあることにより、多くのものを購入し、使ってきた。
広さがあれば、後世に伝えるものを残すことができる。
庭は、それがあることにより、自然に親しむことができる。
庭は、自分の所有物なので、自由に作り替えることができる。
まず大きな方向性を間違えないことが、一番重要になるだろう。
細かな点で、取りこぼしと言えるようなことがいろいろと生じるかもしれない。それを少なくするに越したことはないが、まずは進めることが重要だ。
人に任せることができるものは、その人に任せ、何らかの成果が出れば、それで良しとする割り切りも必要だ。その人が、丁寧に、頑張って行うのであれば、まずはそれでよしとする。
いろいろな人を同時に使うことによって、細かな点までいちいちこだわっていることはできなくなる。もちろん、事業としてこだわっている点はできてこなければならないが、まずは、おおよそでもできればよし、改善は、その上で行うと大きく構える必要がある。
それは20年前の自分を改めて読み返すことができ、20年間の変化を感じるからだろう。
このように記録は、時間の経過の中で重要な役割を果たす。
私自身はタイムカプセルに入れて、わざと、その自分の手紙を読めないような状態にするのではなく、記録として連続して残していくことが重要だと考えている。