助言を求められるとき、どのように対応するか。

人から、何か助言を求められるとき、どのように対応するかは、本当は選択肢が多く、難しい。

答え方は、相手がどのような人かによって、変えていくべきだということは、よく聞くところだろう。

しかし、その前に、相手の求めに対して、それをどこまでも忠実に受けて、それ以外のことは一切触れず、答えていくのか、相手の求めそのものについて、それはどのような意味をもつのかにさかのぼって再構成してから答えていくのか、答える側の立ち位置が問題だろう。

たとえば弁護士として仕事として答える場合、相手の求めに対して、それをどこまでも忠実に受ける必要があることは多い。
しかし、仕事を離れ、友人として答える場合、相手の求めそのものについて、それをずらすこともあるだろう。ずらした方が、相手にとって良いという場合もあるからだ。

答える側が、年もとり、多少は自由に物を言っても良い立場になると、悩む問題だ。特に、人生はいろいろあると知るようになると、答える側も悩むだろう。

結局は、相手が、自分の言うことをどこまで聞いてくれるかの問題かもしれないが、その人の人生の幅が関係してくる問題だろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年09月26日 | Permalink

給料や家賃を払うことに汲々としている自分に対して

このようなときに気をつけなければならないことは、重要な改善に眼が行かなくなることだろう。
給料や家賃を払い、その月が越せれば安心してしまう。全く払えなければ、重要な改善も考えるだろうが、何とか払えているうちは、重要な改善に眼が行かないものだ。

しかし、給料や家賃を払うことに、いつも不安があるならば、重要な改善を考えるべきだ。

空想でもいいから、何かをやめることを考えてもいい。支払の限度を、自分で決めた基準内に収めることも考えるべきだ。
こうしたことをどんどん考えていくと、経済のあり方や資本主義のあり方まで思考が進む。
このとき、大きなテーマを直接考えるのではなく、大きなテーマを自分の立場から、目の前の自分のこととしてとらえ直す。

たとえば、労働者の保護についてであれば、人を使っている人は、その保護の程度について実感として是非を問えるだろう。その保護の程度を前提とすると、自分はどのように人を使えるのか、使えないのかを考えることができる。社会が何を志向しているかを問うのではなく、自分がどう対応するかを問うことになる。

その行き着く先は、人を使うことを極力減らす企業かもしれない。
人に依存するのではなく、企業の仕組に対して人の方が依存する形かもしれない。
できることはできる限り行うけれども、人は人として割り切る人事政策かもしれない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年09月13日 | Permalink

自分のすべてのキャッシュ・フローを表計算ソフトで一覧にすると、将来の改善効果を把握しやすい。

事業を運営する中で、いろいろな不安が生じる。その不安は、金銭的なものだけでなく、人間関係など非金銭的なものも多い。
しかし、金銭的なものだけでも表計算ソフトで全体を把握していれば、過度の不安に陥る必要はないことに気がつく。
何かの課題をいつ改善すればいつ頃どうなるかを把握していれば、落ち着けるだろう。

そのためには、自分のすべてのキャッシュ・フローを表計算ソフトで一覧にすることが有効だ。
自分のすべてのキャッシュ・フローを落とし込み、自動計算されて、総合計して、いくらプラスかマイナスかを把握できるようにしておくと、ある数値が改善されたとき、総合計に反映される金額がわかる。

また、自分の収益の柱ごとに、キャッシュ・フローを整理し、把握すると良いと思う。
そうすることにより、部門ごとの金額がわかり、自分の直感的把握と比べることができる。

その上で、経費の削減によりキャッシュ・フロー上の効果はどうなるか、資産の売却により借入金を返済することで、キャッシュ・フロー上の効果はどうなるかなど、表計算ソフトで数値を動かしてみると、気がつくことが多いはずだ。

税務・会計的な収益の把握も別途必要であるが、キャッシュ・フローを先ず把握することは重要だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年08月29日 | Permalink

隣接地・近隣地の不動産を買い続けることの可否

自分の所有地の隣接地で、不動産を連続して購入する方を、よく見かける。
近くにある不動産であれば、すぐに見に行ける安心感がある。また、「隣地は倍出しても買え」という言葉もあり、昔から合理性はあったのだと思う。
分散しすぎた土地をまとめることは、合理性があると思う。

しかし、土地をまとめた上で何を目指すかを明確にする必要がある。特に、利用方法が限定される地域では、注意が必要だろう。

また、投資家として、地震のリスクを考えるならば、地域を分散する必要があるだろう。

しかし、地域を変えることにより得られる大事なことは、不動産の収益性の違いに気がつくことだろう。
これは、誰しも当然だろうと思われるかもしれないが、現実に身にしみて感ずるのは、地域の違う不動産を取得したときだ。
これを実感すると、隣地だからというだけでは不動産を取得できなくなる。逆に、これを実感していないと、単に財産を大きくするだけの発想で隣接地・近隣地の不動産を買い続けることになる。

「家を取得するのは、一生の仕事」というような感覚ではなく、世の中の理解を進めるという観点で取り組むべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年08月16日 | Permalink

融資を受けやすい今買うべきか? 価格が下がるまで待つべきか?

価格が下がるまで待つことができるのは、経済の大局観が正しくできている場合だろう。

しかし、経済の大局観は、ものの本やブログでは、簡単には明らかにできない問題だろう。それは、誰も確信を持って伝えることはできず、わからないとしか言いようがない問題だ。
結局、自分で、これまでの経験や研究に基づき判断するしかない。

株などの相場では、値が上がっているときは、それに乗った方が良いと考えられるので、不動産の場合でも、相場の上昇に乗ればよい。
しかし、長期保有を前提と考える立場からは、相場の上昇にいつまでも乗るのは危険だと考え、購入を控えることになるだろう。

しかし、さらに考えると、不動産も持ちっぱなしということがあっては、効率的な投資家とはいえないという面があるだろうとは思う。このとき、売り時には全て売らなければならないと考えることになる。

現実には、自分や家族が使っていることを理由として、売却しないと考えることもあるだろう。
しかし、投資家の目線では、それは自分への弁解に過ぎないことになるだろうと思う。

多くの人は、現実と妥協的に生きている面がある。経済的な面だけでなく、家族の心情を考えることもあるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年08月05日 | Permalink

ドラッカー

ドラッカーは、「日本美術の特色は、概念ではなく知覚、写実ではなくデザイン、幾何ではなくトポロジー、分析ではなく統合である」とする(「日本画の中の日本人」35頁)。
 この表現自体が、繰り返しであり、描写的・分析的だと思うが、簡潔に言うならば、対置される西欧が、物事を分解し、詳細な説明を付け加えていくスタイルであるのに対して、日本は、存在するある事柄を、それ自体として把握するスタイルであるという意味であると思う。
 この結果として、西欧の書籍は、分量が膨大になっていくのに対して、日本では、俳句、短歌など、分量を省く世界がある。

ドラッカーは、日本美術および日本人の特性として、両極性を指摘する。これは、両極が別々にあるのではなく、両立し、かつ、両立による緊張もあるとする。
このことは、人間であれ、物事であれ、その中に展開があるならば、一つのものとしては両極になると言うことだろうと思う。

この文章の展開も、日本人であると自覚する私は、統合的に書いていると思う。私は、書籍が膨大になること自体について、限られた人生の中で、好ましくないと考えている。膨大になればなるほど、知覚できないものになるとすら思う。少なくとも、実行の時間が奪われる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年07月25日 | Permalink

仕事・生活の新しいスタイル

人に来てもらい易い場所に仕事場を構え、住まいもそこから近くに置くというスタイルの人がいる。
主要な駅に直結したスペースを仕事場にし、住まいもその駅にすぐ来ることができる駅に直結した場所に置く。
仕事場も住まいも駅に直結している。

駅に直結した場所なので、家賃を考えると、広さは最小限とし、仕事場はペーパーレスを徹底する。人の採用も極力減らし、アウトソーシングする。住まいもミニマリストを貫く。
全国に展開する仕事であれば、仕事場を主要な駅の近くに、いくつか持つが、人に来てもらい易い場所なので、できる限り来てもらう方針とする。

この結果、超都心で仕事をし、都心に住むことになる。その姿は、格好がいいといえるだろう。お洒落な姿で暮らすことになる。
こうしたスタイルの人たちは、どこかで集まり、交流ができるようになる。ビジネスもますます発展することになる。

人と人が直接会って話をする。そのスタイルは崩さない。その方が大事な情報は得られるし、信用に結びつく。


こうしたスタイルの反対側にいると感じている人もあるだろう。すべてが反対側ということではなく、どこかが反対側ということ。
反対側と感じる点を深く考えていくと、自分の問題点に気がつくのではないだろうか。

このとき、都心でない所はどうなるのかは、避けられない問題だと思う。そこでの新しい価値観を確立しないと、自分を維持できないのではないかと危惧している。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年07月15日 | Permalink

マンションは資産か?

東京のタワーマンションが大きく値上がりした。これからどうなるかは、問題だが、そもそもマンションで、このようなことが起こることは、考えていなかった。

中国人(台湾人)が、円安により値ごろ感を持ち、購入したことが大きな要因だと思われる。この需要があり、日本人も安心して購入した面もある。

マンションは、管理がしやすいことが最大のメリットだと思う。
鍵1つの管理で、ある程度安心して留守にできるし、修繕などは管理組合が判断してくれる。受付があれば、様々なサービスも受けられる。
一戸建てであれば、防犯や近隣問題が発生するし、修繕も考えなければならない。

各戸が集合していることは、メリットを生む。
しかし、自由に建替えすることはできない。共用部分は、自由にはならない。
このため、古くなって利用に支障を生じ始めると、その解決には時間がかかるだろう。

結局、簡便さと自由のどちらを重視するかという問題だと思われる。
簡便さが享受できる期間が長ければ、マンションは資産といえるだろう。

簡便さを享受するためには、マンションのロケーションが大きな要素となる。駅に近いことなど、移動時間を重視することになる。
このため、自然が豊かという環境とは別のものとなる。公園はあるかもしれないが、その自然を自由に扱うことはできない。
この点で、生活スタイルとして何を好むかという問題は出てくる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年07月06日 | Permalink

不動産投資に対する考え方

日本での不動産投資について、次のような意見がある。
「多くの日本人は、資産の大半をマイホームという名の不動産投資で運用しており、住宅ローンという信用取引によって資金を調達している。安全な資産運用の原則は、分散投資で、マイホームというたったひとつの投資対象に大半を賭けるのはきわめてハイリスクである。」

大規模地震があると、不動産取得への消極意見も多い。

しかし、不動産取得を最初から否定するのは、偏った見方だと思う。
日本は人口減少が不可避であり、不動産の需要は減る一方だとし、不動産に全て消極の人もいるが、少なくとも現時点で非常に有利な賃料収入を得ている人も多く、自らの資産状況により、現時点での不動産取得を排除する必要はないと思う。

よく、不動産取得と賃借と、どちらが良いかの議論がなされるが、仕事や家族の状況によると考えられるので、人それぞれであり、単純に結論は出せない。

不動産は、他人にも貸せるかという収益性を考えることなく、自分が贅沢をしたり、自慢するために特殊な設計をすると、単なる浪費になりうる。

結局、不動産だからだめだということではなく、投資のあり方、進め方として合理的かという問題である。
不動産投資以外に、確たる収益手法を持つのであれば、それによることは良いであろうが、そうでなければ不動産投資は選択肢の一つとなる。

頭書の意見も、投資のあり方、進め方としての合理性を考えるという立場からのものであれば、良いと考えるが、そうでなければ、誤導するものだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年06月28日 | Permalink

経営者は、時間ができたときに、何をするか?

世の中の経営者を見ていると、組織を作ることができた人や先代から組織を受け継いだ人は、基本的に時間があると思う。
もちろん、経営トップが出るべき会合への出席はあるだろうが、顧客対応をしなければならなかったり、部下を直接見なければならない管理職よりは、余裕があると思われる。また、経営トップは余裕を持つ必要があるという面もある。

世の中の多くの人は、自由時間が欲しくて働いている面が強く、時間がある(暇である)ということは、うらやましい限りかもしれない。

問題は、余裕ができたとき、何をするかということだろう。
第一線の感覚を忘れないように、あくまで現場を見る人、企業の行く末を考え、未来に向けた準備をしようとする人、仕事を離れた趣味に時間をかける人、など、いろいろだろう。

この時間の使い方が難しいと思う。
あくまでも自分でやろうとすると、部下が育たないことがある。
余分なことを考え、実行して、逆効果をもたらしている場合も多い。
それくらいならば、趣味に時間をかけてもらっていた方が良いということも多い。

ここでは、誰がどうだと具体的にコメントしないが、企業が順調でなくなったとき、内部対立を生じたとき、経営トップの普段の余裕時間の過ごし方が問われてくると思われる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年06月17日 | Permalink