人生をいかに楽しむか。

世のマスコミ、メディア、SNSへの個人の書き込み、などなど、人生の楽しみ方を本当に表しているのだろうかと思う。
特にお金持ち、セレブの生活として紹介されている生き方を見ると、これではすぐに飽きるのではないかと思われる。
ただ部屋数が多いだけであったり、プールが付いているだけであったり、そこで示されているのは、面白いとは言えない。また、海外旅行、しゃれたお店も、ただ経験するだけならば、同じことだ。

寝て暮らしたいという人もいるようだが、それも飽きると思う。

楽しむためには、知恵が要ると言わざるを得ない。

それでは、人生を楽しむために、本を読んだり、ネットを見たりして、勉強しなければならないのか。
これは1つの方法だと思うが、年齢とともに、本を読むことは苦痛になる。
本を読んでも、もう少し簡潔に書いてくれないのだろうかと思ってしまう。読むに当たって、息が短くなっている気がする。
本を読むことが、時間つぶしをしているだけにもなりかねない。

本を読むことと、それを実行することとを組み合わせることも、1つの方法だと思う。
実行の観点から、本を読むということ。

夢中になれれば、それで良いではないかという考え方もあるだろう。
夢中になり続けられることは、難しいが、夢中になれるものを探し続ければ良いのかもしれない。

他人がどう思おうと、自由であれば良いだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年06月07日 | Permalink

「本来の自分」でいられる職場

グーグルの生産性向上計画(プロジェクト・アリストテレス)での結論は、「本来の自分」でいられる職場を目指すことにあると聞く。

同じ一人の人間が、会社では「本来の自分」を押し殺して、「仕事用の別の人格」を作り出すことは、あたかも仮面を被って生きねばならないことであり、それではあまり幸せな人生とは言えない。
社員一人一人が、会社で、本来の自分をさらけ出すことができること、会社では、それが受け入れられるよう、自分以外の人への心遣い、共感、理解が醸成されること、が必要である。このことが、チームの生産性を高めることにつながる。

このことを実現するためには、どうしたらよいか?
仕事以外の話をすることができる場を、意識的に作ることが必要だろう。
かつては、仕事が終わってからの付き合いなどがあり、これが有効だった面があるだろう。現在でも、社員の誕生日や祝い事などをきっかけとした、お茶の時間など、短時間でも持つことは良いだろう。

しかし、こうしたインフォーマルな時間を持つことに、抵抗感がある人がいることは事実だ。
この場合、こうした抵抗感を把握して、1つずつ解消する努力が必要だろう。
人に任せることが大事だとする教えは、よく聞くところだが、任せる過程で、自分以外の人への心遣い、共感、理解が進むことにポイントがあるように思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年05月30日 | Permalink

物権と債権

民法の規定する財産権は、大別すれば物権と債権であるから、頭の中におく基本は、この2つである。

このうち物権は、実態のあるものであり、リアル世界のものだと思う。私有財産制が修正されないかぎり、安心できる。
これに対して債権は、主体と主体との関係であるから、実体が希薄となり、どちらかと言えばバーチャル世界のものだと思う。
株式は、株式会社の社員たる地位が均一的な細分化された割合的単位の形をとったものである。社員たる地位というのは、会社から雇われた人という意味ではなく、会社の財産を所有する者であり、基本は所有権であるといえる。したがって、物権に準ずるものと考える。
知的財産権も、物としての形はないが、所有の対象であり、物権に準ずるものと考える。

リアル世界を中心に考えると、物権がこの世に存しているだけであり、世の中の活動の中で債権が生まれたにすぎないと思う。
そして、現代の最大の問題は、リアル世界に存する物権以上に、マネー(債権)がふくれ上がってしまっていることだと思う。マネーはマネーという実体があると考える人もいるかもしれないが、債権の評価物が仮の姿として存在するだけだと思うので、マネーはバーチャル世界のものだと思う。

裏付のないバーチャル世界の権利は、どこかで幽霊のように消えうせる可能性がある思う。
法律家の経済観は、その程度のものかとお感じの方もあることと思うが、1つの見方として受け止めていただければ、幸いです。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年05月18日 | Permalink

不動産管理会社(資産管理会社)の進む道

不動産を所有する会社が利益を生むのは、賃料収入を得たときか、不動産を買値よりも高く売ったときだ。
この両方を経験したとき、何を考えるべきだろうか。
賃料収入は、経済の変動の影響を受けるものの、比較的安定している。
不動産の譲渡益は、経済の変動をうまくつかめば、労力を少なく、大きなものを得られる。

利益を重視すると、不動産の譲渡益を無視することはできない。経済行為では、うまくいったものを徹底して繰り返すことが求められる。口の悪い人からは、「馬鹿の一つ覚え」という表現も出るくらいだ。
完全を求め、効率性を極限まで追求すると、不動産の譲渡益を第一に考えることになるだろう。

しかし、経済の変動をうまくつかむことは、誰にでもできることではない。また、経済の変動は、大きなものが、年に何回もあるものではない。このため、いつも何かしていないと落ち着かない人には、我慢を強いる。さらに、不動産の譲渡益を見込める地域も限定されるだろう。

結果的に、賃料収入を基本に置く人は多くなるだろう。賃料収入でも、十分に大きな収入を得ることは可能だ。これが安全な道だと考えてしまう。大きな経済的成功が、どれほどのものだと考える人もいるだろう。

ここが本当の意味で、考えどころだろう。
経済的成功をどこまでも追求しつつ、現実の生活を楽しむことも考えなければいけない。家族が、一家の主の言うことを簡単に聞くものでもない。
不動産管理会社の進む道は、どこまでも悩ましい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年05月09日 | Permalink

課題の明確化・統合化

大きな目標を決め、それを実現するための道筋を考え、目標を細分化し、期間ごとに落とし込むという手法は、よく聞くし、一般的に行なわれているだろう。演繹法的な手法だ。

別の方法として、現在の課題と効果を積み上げ、方向性を示し、大きな目標へとまとめていく方法が考えられるだろう。帰納法的な手法だ。

2つの方法は、意識するかどうかは別として、同時に行なわれていると思う。

演繹法的な手法だと、ともすれば観念的になってしまい、目標のための目標になってしまうこともある。しかし、こうありたいという姿を考える点では、優れている。

これに対して、帰納法的な手法は、現時点を念頭に置くため、優先順位や重要度をよく考えることになる。しかし、現状に引きずられ、大きな方向性を見誤るおそれがある。

根拠のない目標を定めても意味がないと考えるならば、帰納法的に進むべきだろう。
その場合、現状の課題を明確化することが重要となる。現状の課題を、ばらばらに羅列するのではなく、統合的にとらえることが求められる。現状の課題は、スタート時点では、ばらばらであっても良いが、その関係をよく考えて、まとめていく発想をするべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年04月28日 | Permalink

課題の管理

スケジュール帳、ToDoリストなど、それを管理するアイテムがいろいろある。
しかし、こうしたアイテムは、便利なようでも、受動的になり、場当たり的にもなり、大事なことを通り過ぎてしまうおそれもある。

こうしたアイテムは、大きくとらえると、課題の管理のためのものだ。課題は、完了すれば消していけばよいという考え方は、備忘のためだけならば、その方が良いのかもしれない。
しかし、より積極的に進むためには、それだけでは足りないと思う。課題の管理のためには、踏み込みが足りないと思う。

課題は、それぞれの人の中で、いくつかあり、それを統合する発想が必要だ。課題の全体の体系のようなものが認識される必要がある。
統合化・体系化することを考える中で、認識していない課題が浮上するものだ。

課題の統合化・体系化のためには、すべてが頭の中だけでできる人は別として、記録、整理、比較といった作業が必要だと思われる。したがって、完了すれば消していくという手法ではなく、記録を整理、比較して、全体の位置づけを考えることができる状態にする必要がある。

単純な備忘のための記録は、完了すれば、消していっても良いと思うが、全体の位置づけを考えた方が良い記録は、手控えとして残し、折々に読み返す必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年04月18日 | Permalink

全体を統合する見方

 多くの企業は、前年比で予算を組み、予算との対比で、本年の業績を評価する。
この方法は、成長を実感できる点で良いと思う。
 しかし、常に成長だけを考えていると、その企業に潜む問題の萌芽を見落としたり、無理をしたりして、ある時点で一度に問題が噴出する。
 したがって、自分の企業をとらえる、自分なりの観測ポイントを持つ必要がある。観測ポイントは、各企業ごとにいろいろだが、たとえば外注比率など、利益率に影響する要素などがあるだろう。

 こうした自分なりの観測ポイントは、それほどたくさん持つ必要はない。少数でも大事な要素を見つけるべきであり、自分なりの観測ポイントの変化を見て、自分の企業は全体にどのような実態なのかをよく考えることが重要だと思う。
 自分なりの観測ポイントは、1つの要素ではあるが、1つの要素としてだけとらえるべきではない。その要素を、自分が持つ直感的な企業のとらえ方に、統合的に加えると、全体がどのようなのかと考えるべきだ。

 こうした、全体を統合する見方が、重要な問題に気がつく道だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年04月08日 | Permalink

老人の「戦略」

 老人は、社会を支配している。したがって、老人に好かれれば恩恵を受ける。老人に好かれることが、若者には必要だと思うが、必ずしもそれを心がけている若者ばかりではない。それぞれの価値観・判断だろう。

 ここまでの言い方は、自分が若者に属していると考える立場からのものだ。しかし、年をとるにしたがい、誰しも老人の立場が分かる。

 老人は、老人なりに、自分が支配・維持してきたものをどうするかを考えている。そのときに考慮するものとして、自分がどのように扱われているかが大きな要素となる。それはやむをえないものだろう。
 老人は耳が遠くなり、人の話が聞き取りにくくなっている。また、老人になると、いろいろ間違えることが多くなり、話も間違いなく聞き取ろうとする。そのために、のろくなりがちだ。こうしたことが老人の特色だと思う。
 こうした特色により、老人は遠ざけられる。意外に一人ぼっちでいることが多い。

 その結果、老人は、自分なりの「戦略」を持つ。(老人がどこまで意識して戦略と考えているかは、人それぞれなのでここでは「戦略」とする。)老人は、自分がどのように扱われているかで判断するようになる。

 ここからは、若者に属している人たちへの話。

 老人の「戦略」を知らないで事がスムーズに運ぶと考えたら誤りだ。この点を誤らないようにするために、道徳はあるといってもいいくらいだ。老人の「戦略」への対応は、それほど難しいものではない。
 しかし、こうした若者の「戦略」を持たない若者が多いのが現実だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年03月29日 | Permalink

出身地に留まる者と出ていく者

世の中を見ていると、出身地に留まる者と出ていく者とがある。
名古屋で仕事をする以上、名古屋に住むのが当然と考える人もあれば、そうでない人もある。住むにあたっては、家を借りる人もあれば、購入する人もある。

戦国時代も、地に留まる武士(豪族)と、全国制覇を目指して居城を次々に変えていく武士(大名)とが、いた。
どちらの生き方が合理的かは、その立場によるので、一概には言えない。
しかし、出身地に留まろうとする気持ちが大きな影響を持つとは思う。

「出身地に留まろうとする気持ち」を超えていくものは、自分の人生をどのように組み立てるかという計画の問題であり、簡単に言えば、目標設定の問題だと思う。
目標設定がないと、多くの人は、とりあえず日常生活が送れればいいと考えてしまうものだ。日常生活を超える部分を作り上げることを考える必要があると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年03月18日 | Permalink

内部対立の根源

世の中の紛糾・紛争の関係者は、実務家(運営者)と論評者とがある。
そして多くの場合、論評者の方が「声が大きい」。
実務家は、常にコントロールしなければならない案件を抱えているため、断定できず、あいまいなままとなることが避けられない。必然的に声は小さくなる。
私は、どちらの立場にも立つことがあり、どちらかが良いと考えているものではない。

しかし、事態が対立・紛争まで至ったとき、両者の関係は注意を必要とする。
実務家(運営者)は、相手に対して、「自分では、できもしないくせに。」と思う。
論評者は、相手に対して、「理屈を突き詰めれば、こうなるはずだ。」と思う。
問題は、論評者が、断定したときだ。世の中では、なぜか断定する人が多い。能力・経験がないにもかかわらずだ。また、論評者は、観念的で、頭の中だけの判断であることが多い。
実務家(運営者)は、黙ってしまう。こうなると、論評者は、かさにかかってくる。実務家(運営者)は、落ち込み、場合によって精神的にまいってしまうところまで行ってしまう。結果、実務の運営ができなくなり、皆が困ることになって終わる。

こうした事態は、夫婦間でも、会社の経営者間でも、経営者と従業員間でも、起こる。テレビの論戦では、しょっちゅうだ。
よく話し合いをしなさいというだけでは、解決にならない。どちらかの全体が分かる人が、回避するしかないだろう。消極的に思われるかもしれないが、回避した人を評価するべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年03月11日 | Permalink