母親の子育て

 塩野七生、ローマ人の物語11巻21ページに、歴史家タキトゥスが書き遺した、紀元2世紀のローマの上流家庭での子育てをうかがわせる記述が紹介されている。 

「グラックス兄弟の母コルネリアヤユリウス・カエサルの母アウレリアの最大の関心事は、息子を育てあげることにあった。(中略)それが今や、母親の任務は子を産み落としたら終わりだ。(中略)幼な子は、無教養で下品な女奴隷たちに囲まれ、彼女たちの下らないおしゃべりを耳にし、なるべく怠けようとしてずるく立ちまわる様を観て育つことになる。」

タキトゥスは、何でも悲観的に見てしまう人なので相当に割引いて受けとる必要があるとも、塩野七生は指摘するが、カエサルの時代から200年が過ぎて、指導者階級の子育てが様変わりしたようだ。

ローマの指導者階級と比べる必要はないだろうが、母親の子育てが大事であることは、時代を問わないだろう。弁護士として、いろいろな家族を見てきて、そう思う。
男性の側からすると、どのように子育てをするのか、配偶者を選ぶときから考えなければならないだろう。
また、祖父母の立場からは、孫はその母(嫁)の子であることを忘れてはならないだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年09月20日 | Permalink

「商店街はなぜ滅びるのか」 新雅史

 この本の分析が良いかどうかは、いろいろ議論があるだろう。
 私が一番印象的だったのは、「あとがき」で、執筆動機が、自分の親が酒屋の仕事をしており、その姿を見て、どう考えていたかにあった点である。
 子は、親を良く見ている。親が気がつかない点をよく見ている。子にも世間体があり、葛藤がある。こうしたことは、私にもあったことを、思い起こさせてくれた。

 作者は、
「わたしは、両親の酒屋を疎んじた。いつも家のなかがうるさかったし、一家団欒の食事をまともに取ることもできなかった。(中略)わたしの家がいつも酔っ払いに囲まれていることを許せなかった。」
「我が家が、友だちの家と比べて、古く、汚く、狭かったことに、とても恥ずかしい思いをしていた。」
「当時の状況をふりかえれば、住居だけが問題だった。それ以外の面では何不自由なく育ててもらった。」
「わたしはサラリーマンと主婦の家庭にあこがれていた。」
両親は、酒屋を廃業し、コンビニに転業したが、「還暦をとうに過ぎた現在も、コンビニの店頭とバックヤードをかけずり回って、深夜まで働く姿を見るとせつなくなる。」
と記述する一方、わが身の現状のふがいなさも記述する。
作者は、すでに気がついているだろうが、これらのとらえ方は、人生経験がこれからの人のものだ。

しかし、作者の感覚は、わかる。私の祖父母は、家で小さな金物店を営んでいたし、私は、お手伝いで、近くの酒屋に買い物に行ったこともあったので、多少は、このあたりを実感として理解できる。私も弁護士になり、作者と同じく、家の仕事の後を継いでいない。

親は、子の思いを、どこまでつかむことができるかは、簡単ではない。私もこの年齢になり、自分に対して指摘しておかなければならないことは、この点である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年09月07日 | Permalink

奈良美智

奈良は、自分に素直に、自分を記録し続けた作家である。
しかし、その過程では、それをゆがめる作用を持つ出来事も次々と発生した。

奈良が描く子供たちは、奈良自身の自画像だった(美術手帖2012/09 26頁)。
したがって、奈良の作品は、そのときどきの自分の記録といって良い。

自分も作品を通じてファンとはパーソナルな関係でつながっていると見ていたのに、メジャーになるとその関係は崩れて、自分対個人だったのが自分対多数に変ってしまう(30頁)。

01年の頃に、作品のテーマとしていた子ども時代の感性というのが、集団作業によるコラボレーションを経て、作品の質が次第に変化していった(薄れていった)(31頁)。
コラボレーションは、メジャーになることと同義とも思える。

2012横浜美術館での「君や僕にちょっと似ている」展は、題材は全て女の子であった。(横浜美術館の別の会場には、奈良の以前の作品もいくつかあり、また、2012年の男の子を題材とした作品もあった。)
観ている人たちは、「かわいい」と口に出している人もいたし、そう思っているのだろう。小学生くらいの子どもたちが、クラス単位で観ていた。

奈良の作品は、女の子を題材としたものに収斂していくようにすら感じる。これは、多数の人に分かり易いし(本当にわかってもらえるかどうかは別にして)、観てもらいやすいからだろう。少なくとも展示する側の人は、そう判断していると思われる。
奈良の思いは別として、多くの人から観てもらえるということは、美術の世界では重要なことであり、作家と観る人との思いのずれがあっても、どこかつながる線があり、その線が太くなって、一致に近づけば、良いことだろう。

奈良自身は、図録の巻頭言でこう述べている。
「もはや好むと好まざるとにかかわらず、自分が作るものは、僕自身の自画像ではなく、鑑賞者本人や誰かの子どもや友達だと感じるオーディエンスのものであり、欲を言えば美術の歴史の中に残っていくものになっていくと思っている。(中略)
そういう意味も込めて、もはや自画像ではなく「自分にちょっと似ている」自立したもの、かといって100パーセント、オーディエンスに委ねられるものでもない。僕の絵を見て「これは私だ!」と自己投影する話はよく聞く。それはヴィジュアル的な表面にではなく、内面で重なり合うレイヤーを感じての自己投影。僕は、そういう時は、もうそれでいいと思うようになった。でも、、やはり自分が作り出したという親心は残っている。それで「僕にちょっと似ている」であり「君にちょっと似ている」となったわけなのだ。そして、それらはあくまで「僕や君にちょっと似ている」のであって、作品自体は僕やオーディエンスのように、ひとつひとつが自我を持つ「作品という名の本人」であるのだ。」
奈良のとまどい、反発、あきらめ、確信などなどが混ざった気持ちが感じられる。

しかし、作家がいろいろな意味で成功するということは、こういうことなのだろうとも思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年09月06日 | Permalink

館長庵野秀明 特撮博物館

 東京都現代美術館で見てきた。
 特撮のために作られたミニチュアが、現代美術なのかどうかという問題設定は、意味があるとは思われないので、ここでは触れない。これだけミニチュアが集まり、具体的な特撮の方法が示されると、日本の技ということは実感できる。こうした日本の技が、コンピュータ時代に、どこまで続くのかという問題があることも理解できた。
 しかし、なんと言っても感ずるのは、常設展示に比べて、随分混んでいたことだ。普段接する現代美術と何が違うのだろうか?
 「縮み志向の日本人」でも指摘されていたように、日本人が好む細やかなものだからだろうか。日本美術の特色のひとつである奇想が日本人は好きであり、それが示されているからだろうか。現実世界を離れて没入することができる独自の世界に、世俗的な楽しみを見つけられるからだろうか。単に分かり易いからだろうか。こうした点を分析するだけの知見が、私にあるものではないので、仮説までまとめることができない。
 人気に大きな差があったことを、ここでは受けとめたい。アーティストもこの点は考えるべきだと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年07月30日 | Permalink

夫婦財産契約を、家族統治の観点から考える。

 夫婦財産契約は、登記をしなくとも、夫婦の間では効力がある。また、口頭でも有効である。書面によるべきという規定はない。
 したがって、婚姻届出前の合意として、文書がなくとも、実際の状況からある一定の合意の存在を認定されると、思わぬ結果が生じることに注意する必要がある。
 たとえば、「夫の収入の一切は、夫婦の共有財産として結婚生活を維持していく。」という合意がなされたケースがある。
 裁判所は、文書による合意はないものの、管理を任せた実際の状況から、夫の収入については、妻において、その収入の性質の如何を問わず全てについて自由に収支(経理)を行なうことを、夫が予め包括的に容認する内容のものであったと推認し、委託契約が継続する間、原告の収入のすべてを共有とする黙示の合意があったと推認した。この結果は、夫にとって不利な結果をもたらした。
 こうしたことを防ぐためには、夫婦財産契約として、文書による合意をする必要がある。
 弁護士の立場からは、夫婦財産契約をもっと利用してよいと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年07月19日 | Permalink

旅行の記録

 自分や妻の、祖父母、父母、子供も入れた年表を作成してみた。弁護士として、人に話をする機会は多いものの、わが身はどうかと実行してみた。
 時系列順に、年齢、主な出来事を間単に記入しただけのものである。この年表は、ある一時点の家族構成がわかり、未来の姿を想像し易くなる点でいろいろと考えさせてくれる。
 この年表に、過去の出来事を追加して記録していくと、過去をとらえなおすことができる。
 父母が旅行をしたときに、絵葉書セットを購入することが多かったが、そこに行った日が記録されているものがある。また、写真で年月日が分かる場合もある。こうして旅行の記録を年表に落とし込んでみると、これまで気がつかなかったこと(父母の心境などプライベートなことにすぎませんが)に気がつく。
 過去のとらえ方に気がつくことがあると、未来の見方も変わるように思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年07月05日 | Permalink

家族(夫婦)は、どのような年齢構成で老いていくのか。

 年齢は、誰しも1年に1つずつ進むのであるから、将来の年齢構成は、年表にすれば、一目瞭然である。
 しかし、年表にしてみたりして、将来の姿を、1年ずつ具体的にイメージする人は少ないだろう。
このため、家計の管理をしている人が、70歳くらいになったときどうなるかについて、明確に考え、対策を実行している人は少ないだろうと思う。人生に楽観的であることは、悪くないだろうが、将来発生する問題については、やはり考えるべきだろう。
 すぐにでも気がつくこととしては、男性よりも女性の方が長命だから、自分亡き後の妻の生活をどうするかという問題がある。子供がいて、きちんとしてくれるのか、夫である自分がきちんとしないといけないのか、人により状況は違う。定期的に生活費が渡る方が良いのか、妻の自由裁量を認めた方が良いのか、という判断も必要である。
 弁護士は、この点についても相談にのることができるので、念のため。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年06月25日 | Permalink

写真の整理をどうするか。

 写真の整理が問題になるのは、多くは、遺品の整理をするときだろう。残された写真を捨ててしまっていいかどうか悩む。弁護士としてではなく、一個人としてである。
 したがって、自分が生きているうちに、残される人のことを考えて、整理する必要があると思う。
 年をとったら、写真は整理して、大部分は捨ててしまうことを考える人もいるだろう。しかし、残された人から見たときに、写真があまりないのも寂しいことではないだろうか。
 デジタル機器で保管するから、場所はあまり取らないと考える人もいるだろう。しかし、場所の問題もあるけれども、ただ残されても困るのではないかと思う。
 それでは、どうすれば良いか。
 古い写真は、デジタル機器で取り込むというような手間をかける必要があるものは別として、手間をかけずに時間順に並べておけば良いと思う。あちらこちらに、ばらばらに保管することだけは避ける。
見て欲しい点があれば、何かコメントを残しておけば良い。
先祖からの写真も同様にする。
 全体の分量がはっきりすれば、保管する側も気持ちがすっきりするだろう。
完全な整理など考えないで、時間があるときに、おおよそ並んでいる状態までには、まとめておく。残された人が、それを見て何かを感じてくれれば良しとし、捨ててもらっても良しとする。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年06月19日 | Permalink

夢窓疎石

 苔寺(西芳寺)の庭園は、禅僧の夢窓疎石(鎌倉末-南北朝時代)が、作ったものである。
 西芳寺は、西方浄土から名をとった「西方寺」と、穢れた場を意味する「穢土寺」を統合して、夢窓疎石が再興したものである。「西方寺」があった平坦な土地に、池泉回遊式庭園を、「穢土寺」があった洪隠山(こういんざん)の斜面に、枯山水式庭園を作り、2つを結んで1つの庭園とした。
 ただし、池泉回遊式庭園が苔の庭になったのは、江戸時代末期とされている。
 
 夢窓疎石が意図したのは、天国と地獄だといわれる。浄土と穢土をつなぎ、往来することで、庭と向き合う者に、死生観を考えさせようとしたとされる。

 私は、こうした知識を持って、庭園をじっくり回ってみたが、上段が枯山水式であり、下段が池泉回遊式であるため、位置関係の点で、通常の天国と地獄のイメージとは合わないかもしれないと思った。
 しかし、夢窓疎石の作庭は、当時の「現代美術」だと感じた。
 もともと2つの寺があったところに、それを統合する作庭をして、過去を組み直し、そうすることによって今をとらえ直し、その結果、未来を考えさせるものだと思う。枯山水式庭園では、古墳の墓石を用いたということなので、夢窓疎石の意図をますます感じるだろう。通常の天国と地獄のイメージとは合わないことすら、夢窓疎石の意図かもしれない。

 現代美術は、日本で根付くのかという議論があるだろうが、すでに日本の庭園には、現代美術の思想があると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年06月13日 | Permalink

キャッシュフローのみを見ていると、投資に消極的になるきらいがある。

 自社・自家のお金の流れを、大きく区分けしてとらえると、特色がわかる。弁護士の立場として、いろいろ気がつくことが多い。
 区分けの仕方は、いろいろ考えられるだろうが、
収入として、事業収入(給与収入)、投資収入(資産収入、金利・配当収入)、
支出として、人件費、人件費以外の経費、支払利息、税・社会保険、消費(家計費)、投資(元金返済)、
くらいに分けてみる。
 事業者と給与生活者では、違いもあるだろうが、比較の仕方は共通に行うこととする。
 「収入の範囲で生活する」という世間一般に言われている原則は、そのとおりだとは思うが、この原則だけで生きてきましたというのは、野心に欠けるだろう。残ったお金は貯金するだけで、投資収入(資産収入、金利・配当収入)を考えないという生き方は、社会に対する見方を狭めるのではないかと思う。
 しかし、投資収入(資産収入、金利・配当収入)を考えようとしても、その実現は簡単ではない。また、急ぎすぎれば、リスクは高くなり、破綻することもある。
 ここに記載した区分けの項目のバランスを考え、何を増やし、何を減らすのか、その変化はどの程度かをチェックすると、自分の置かれた立場が分かるだろう。
 その結果、投資(元金返済)が、いかに大変かを痛感するだろう。デフレ期は、特にそうだ。キャッシュフローのみを見ていると、投資に消極的になるだろう。投資よりも、先ず生活なのかもしれない。
 しかし、何かを実現しようという野心があるならば、1人になっても、投資(元金返済)を進めようという決意をするべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年06月13日 | Permalink