A10 間(あわい)
物と物、時と時とのあいだ。あいま。境界。
物と物、時と時とのあいだ。あいま。境界。
結婚が閨閥作りのために利用されていることは、昔はあったようだが、今はあまり聞かないと思われる。
しかし、あまり表立ってはないにしても、昔と同じようなことを考える人はいるだろうと思う。弁護士として、いろいろな人と話をしていて、そう思う。
子の人生は子のものであって、親が口出しするべきではないし、口出ししない方がかえって良いという意見が多いかもしれない。お見合い結婚か恋愛結婚かと言われれば、今は恋愛結婚の時代だと思う。
しかし、どのような結婚をするか(配偶者に誰を選ぶか)によって、人生は変わってくるだろうから、親としては、気になるところであるし、何らかの意見を伝えることは良いと思う。
どのような意見を伝えるべきかは、プライベートに直結しすぎてここでは書けない。
子がどのような配偶者予定者を親に紹介するか、その場になっての覚悟はしておく必要があると思う。
目くばりのできる女性が結婚を決意するときには、心の片隅で親を安心させたいと考えるときく。自分の幸福よりも親の幸福を優先させることもあるときく。
この考え方は、古風であるようにも思うが、日本的なのではないかと思う。
現代では、こんな風に考える人はいないよと言う人は多いかもしれないが、私には大事な判断のように思う。
結婚生活は、相互理解と相互依存の中で、その時々に2人で築いていくもので、「この人以外に結婚は考えられない。」と言うほど限定されたものではないと考えるからだ。こんなことを言うと、世の多くの人から非難されるだろうと思うが、弁護士として感ずるところでもあるし、こんな考え方もあるという程度に受けとめていただければと思う。
なお、離婚について前向きに考えることとは別の問題である。
円資産の価値の暴落を想定して、海外への資産移転を勧める論者が2000年頃からよく見られるようになり、既にある程度(あるいはほぼ完全に)実行された方も多いと思う。弁護士として話を聞くなかでも、そう実感する。
経済活動の場が日本の枠を越えている人にとっては、海外投資の取得は当然のことだと思う。しかし、主たる経済活動が日本にある人にとっては、海外資産の管理は特別の研究を要する。また、ユーロ危機などを経験すると、資産の安全地帯はないと感じられ、また、分散の必要は理解できる。
私のように日本国内を対象とした仕事をしている者は、日本を住みやすいと考えていると思われる。しかし、経済活動の場が世界に広がっている人も、日本は住みやすいと考えているだろうと思う。中国が経済的に成長している時期でも、中国で活動するために中国に居住する必要があれば、やむをえないと考えたかもしれないが、中国に住みたいとは思わなかった。
若者は海外に出てかんばるべきだという論者もいるが、確かに、日本での活動の場を見つけられていない人は、ぐずぐず日本にいるよりは、成長点に出たほうが開けるだろうとは思う。しかし、成長点とは言え、暮らしやすいかと考えると別の判断になる、という人は多いだろう。
私も、日本で生活することを現在は考えている。しかし、場合によっては、日本を脱出することもありうるだろう。
(1) 日本国内を対象とした現在の仕事をリタイアした場合
(2) 日本人の思いやりの精神が失われたと思えた場合
(3) 日本での税・社会保障の負担が大きくなり、低負担国との比較で住み良さを感じられなくなった場合
江戸時代の藩が明治時代に県になり、移動の自由が認められてからは、誰もが自分は○○藩の人間だと意識しなくなったように、現在の国は、移動が自由であるならば、○○国の人間だと意識しなくなっていくのではないかと思う。
弁護士として、一代で事業を築いた人を見ていると、身内に対しても自分と同じレベルを求めているように思う。「いや、自分と同じことは求めていませんよ。」と言う人であっても、ある程度は、自分に近いレベルを期待していて、その期待との差がわかったときにショックを受けることがあると思う。
自分の能力とファミリーの能力とは別だと考える必要がある。ファミリーを見るときは、少なくとも普通の能力の人であれば大いに良しという前提で考えるべきだろう。
いや、本当は、それでも甘く、現実の能力をよく観察して、それを受け入れるべきあろう。
ファミリーの現実の能力を前提に、ファミリーのあり方を考える必要がある。
大きな容積率があるのに、その1部しか利用せずに建築することがある。予算が決まっているだろうから、容積率を全て利用せず、大きさが決まることはよくあるだろう。
これに対し、容積率は全て使った方が良いという考え方もあった。容積率を一杯に使った方が単位面積あたりのコストは安くなるだろうし、大は小を兼ねるという面もある。
しかし、経済環境がこれからどうなるか見通しにくいときは、安全に行くべきだろう。
自分の記憶だけでやっていると、まちがえる。修繕は次から次へと出てくることがあり、記録し、何か問題があるのか注意して検討する必要がある。
これは当然のことであるが、記録をどのように保管するかを決めないと後に利用できない。
マイホームの設計、建設は、楽しいものだろう。いろいろな本を見て研究する人もいるだろう。その結果として、自分の個性を出したり、人と違った工夫をしたりもする。
しかし、自宅をいつまで使うかという問題があることを考えるべきだろう。自分の職場が変更することもあるし、自らのビジネスが大きく発展して、住まいを移さなければいけないことも多い。
この場合、自宅を売却するか貸すことになるだろう。このとき、売却しやすいかどうか、貸しやすいかどうかの問題が出てくる。ある程度、多くの人が使いやすいと思う形(標準使用)が必要だろう。
大きな家は、大きな家を求める人にとってどうかという判断をするべきだろうが、多くの場合、大きな家を求める人は、自分で設計して作りたいと思うから、中古ではなかなか売却しにくいだろう。
自宅を作ることは、贅沢品を持つことに近い面があり、どこまで贅沢をするかはよく考える必要があるだろう。
とにかく静かだと思う。上階の音は全く気にならない。
地震のときは、どうなるかという心配はあるが、2011年3月11日、東京では、マンションの揺れが少し長く続いたようだが、大きな損壊は報告されていない。
眺めが良い、夜景がきれいというのは、最初はそう感ずるけれども、慣れてしまうと普通になってしまうようだ。
人の居住形態は、親から独立して1人で生活する年齢、夫婦となり2人で生活する年齢、子供と共に生活する年齢、子供が独立していく年齢、と変化する。
もちろん、3世代で一緒に生活する生き方もあり、近時見直されているようである。しかし、自由に生活できる気安さを知ってしまうと、3世代同居をするにしても、そのあり方も工夫する必要があるだろう。
このような居住形態の変化を、人口動態で分析し、将来の時間軸の中でどのような形の住居が必要かを予想したグラフを見ると、いろいろ気がつき、企業は対策を検討しているといえる。
不動産賃貸業を考えるのであれば、こうした対策を知るべきだろう。