30 抽象表現主義

(1)ポール・ジャクソン・ポロック(1912ー1956)は、5人兄弟の末子で、父が野菜農場経営などをしていたが、母が芸術に理解があり、長兄、四男も画家を志した。

(2)マーク・ロスコ(1903ー1970)は、帝政ロシアのドヴィンスクに生まれ、10歳のときにアメリカに移住し、学業優秀で、奨学金を得て、名門イエール大学に合格、2年で中退。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

29 その他

 アンフォンス・ミュシャ(1860ー1939)は、絵を描くのは好きであったが、むしろ音楽への憧れが強く、11歳で聖ペトロフ教会の少年聖歌隊に入り、寄宿生活を送りながらミサ曲を歌っていた。聖ペトロフ教会の少年聖歌隊脱退後、学業がふるわず中学校をやめ、実家に戻ったミュシャは、裁判所の書記として働きながらデッサンを続けた。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

28 素朴派

 アンリ・ルソー(1844ー1910)は、ブリキ職人であった父が不動産業に手を出し失敗し、家族はあちこちに移転した。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

27 エコール・ド・パリ

(1)アメデオ・モディリアーニ(1884ー1920)は、裕福ではなかったが、由緒あるユダヤの家計に生まれた。母方には知識人が多い。

(2)マリー・ローランサン(1883ー1956)は、母がラテン語ができる教養豊かな人で、縫い物をして生計を立てていた。父は後に代議士になったが、父の名前は母の死の直前まで伏せられていた。

(3)マルク・シャガール(1887ー1985)
特になし

(4)モーリス・ユトリロ(1883ー1955)は、父を知らない。母は、もっぱらモンマルトルに住み、ユトリロは、祖母とパリ郊外のモンマニーで孤独に過ごした。

(5)レオナール・フジタ(1886ー1968)は、父が軍医で転任が多く、母を5歳のとき亡くしている。13歳のとき、父の許しを得て画家への道を歩みはじめる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

26 メキシコ壁画運動

(1)ディエゴ・リベラ(1886ー1957)は、画才にめぐまれ、わずか10歳でメキシコ・シライのサン・カルロス美術学校に入学。

(2)フリーダ・カーロ(1907ー1954)は、初めて国立予科高等学校に女子の入学が許可された年に入学。生涯に2度、大きな事故に遭った。ひとつは交通事故、もうひとつは、ディエゴとの結婚。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

25 シュルレアリスム

(1)マックス・エルンスト(1891ー1976)は、幼いころから学業も課外活動も器用にこなし、大学で哲学と心理学を専攻し、フロイトの精神分析に興味をもち、精神科医を志した。そのとき出会った精神病患者たちの絵が、絵画の約束から自由で、論理的な思考が排除されていることから、エルンストは、様々な技法へと至る思考を促された。

(2)サルバドール・ダリ(1904ー1989)は、金持ちの子であり、最初の学校は貧しい家庭の子が多く、孤立していた。

(3)ジョアン・ミロ(1893ー1983)は、仕事のストレスからひどい鬱病になり、体調まで崩して入院した。しかし、このおかげで両親に無理やりやらされてきた会社勤めから解放され、カタルーニャにある小村モンロッチでの静養ができた。ミロは、美しい村の風景に触れるうちに、画家になる決意を強くした。

(4)ルネ・マグリット(1898ー1967)は、13歳の冬、母が自殺する事件があった。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

24 ダダ

(1)マルセル・デュシャン(1887ー1968)は、長兄が画家、次兄が彫刻家であり、2人の兄を慕ってノルマンディーからパリに出た。

(2)マン・レイ(1890ー1976)は、働きながら絵を描いていた。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

23 新造形主義

ピート・モンドリアン(1872ー1944)は、父が小学校の校長で絵を趣味とし、叔父が画家であった。父は経済的理由でモンドリアンが画家になることを許さず、モンドリアンは、小学校の図画教師の免状をとり、父の学校でデッサンを教えたが、20歳で志を貫き、美術学校に入学した。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

21 青騎士   バウハウス

(1)ワシリー・カンディンスキー(1866ー1944)は、幼い頃から水彩絵具で色そのものを扱うことに喜びを感じており、また、9歳でピアノとチェロを習いはじめ、美術と音楽は、生活の大きな部分であった。大学で法学と経済学を学び、国家試験に合格するが、自分に芸術家になる才能がないと悩んでいた。30歳のころ、印刷工場で働いていたカンディンスキーのもとに、大学講師の誘いが来てから、決心するに至る。

(2)パウル・クレー(1879ー1940)は、7歳で最初にヴァイオリンを手にしたといわれ、ギムナジウム(高校)を卒業するころには、州立オーケストラに籍を置いてヴァイオリンを弾いていた。また、絵においては、幼少時からおのを現実的に正確に描くより、想像力をもって自由に形を生み出すことに興味をもっており、時にグロテスクなものも描いたが、祖母をはじめとする周囲は、それを止めることはなかった。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink