画家がどのようにして社会で生活を始めたかについて、以下に資料(小学館ウィークリーブック「週刊美術館」の記述を中心)から抜粋する。 
 本人の資質、家庭環境などによる特徴から分類すると次のようになる。

 優等生(アート以外も)
 ひょんなことから
 家族(父)が安定した収入を与えた(与えたと思われる)ケース
 父が美術関係
 愛情
 親の反対を乗り越えて
 不幸としか言いようがない

 ここからわかることは次のとおり。
(1)画家として社会生活を始めるためには、ベースとして、経済的安定があること。
(2)絵画との何らかの接点があること。
(3)不幸は何らかの形で画家に強く影響していること。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

9 日本の美術家は、今後、どのような戦略をもつべきか。

(1) 日本の文化の1つとして、マンガ・アニメがあることは世界的にも知られている。村上隆は、マンガ・アニメがもつ日本のテイストを、「スーパーフラット」という概念により、欧米に向けて説明して、評価されたといえる。
 (なお、村上隆のスタンスが、欧米に向けての説明であるために、日本のマンガ・アニメファンの理解が得られたものかどうかの問題はある。)
 浮世絵が日本のテイストとしてヨーロッパで受け入れられたように、マンガ・アニメを日本のテイストを感じさせるものとして、アートの形で欧米に持ち込んだといえる。
 意図的であるかどうかは別として、このようにマンガ・アニメの日本テイストを利用する作家は、既に多いと思う。したがって、そこに追随しても、ものまねになってしまうであろう。
(2) 日本人でありながら、ヨーロッパに滞在し、欧米の作家と同じように描かれた油絵は、多い。
 しかし、日本人の眼からは、欧米のテイストとして評価されるであろうが、欧米では、むしろ違和感があるかもしれない。欧米の作家が舞妓を描くのと同様ではないかと思う。
 したがって、日本人であるならば、日本のテイストをもつべきであると思う。
(3) 日本のテイストは、マンガ・アニメだけではないと考えている。
 第1は、日本人の緻密・精密さであり、洗練である。これは、自動車、電化製品などの工業製品全般に見つけることができるだろう。
 このテイストは、装飾の方向へと展開するものと、逆に装飾をはぶく方向へと展開するものとがありうる。
 第2は、日本人の健気さである。これは、大震災があっても無秩序にならない自制心に見つけることができるだろう。
 このテイストは、第1の点に関連し、装飾志向とそれを省く志向の両方を見たときに表れる精神性だと思う。
 第3は、日本人の奇想である。これは、第2の点が精神性(内面)へと踏み込むものであることと対をなす、遊び(外面)であるように思う。
 このような日本のテイストがアートとして表現され、日本人への理解が進むことを願う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

8 村上隆

 村上隆は、世界的に評価された美術家であることは否定しえないが、日本では賛否両論である。
 私も、個人的には、村上隆を美術家として強く支持することには消極的である。
 しかし、村上隆の「芸術起業論」「芸術闘争論」を読むと、その手法の着眼点には共感を覚える。
 「スーパーフラット」という概念が、どこまでのものかは正直、不詳である。しかし、日本のアートが周縁に存在することを自覚し、欧米の美術史理解の中に位置づけようとしたことは、評価してよいと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

7 洗練

 どの世界でも、繰り返しの中で、洗練が行われる。 
 美術作品も洗練が進められる。
 洗練は、ビジネスの世界では、合理性となって現れる。
 美術作品の世界では、装飾、様式となって現れると思うが、洗練の形は、時代によって異なるだろうし、いろいろかもしれない。
 しかし、日本美術について言うならば、強く求められてきたものだと思われる。日本人は、洗練のないものは、受け入れてこなかったのではないかと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

6 現代を特徴づける要因

(1)絵を描く(もっと広く、作品として表現する)コスト(用具、材料)は、現代では、おそらく、ほとんど気にならない程度にまで下がっていると言って良いだろう。
(2)写真(道具、技術)の登場は、大きな影響を与えた。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

5 日本

 日本の美術は、何が受け入れられてきたかという観点から見たとき、次の特色がある。これは、強い現世志向があるからではないかと思う。
(1)装飾
  金箔と緑色を基調とした色彩上の装飾
  強調 ex金剛力士立像
  技術を明確に出した装飾
  (外形的な強調から内面へと向かう過程は、碌山に見ることができる。)
(2)わび                 
  装飾過剰に対する批判         
  装飾をはぶく中に精神性を見つける
   リアリズムに結びつく、無著菩薩立像
(3)奇想
  大胆な構図、デザイン性、遊び


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

3 自由

 歴史は、○○(いろいろな事柄を入れることができる)からの自由を見つけることの積み重ねといえる。人間は、生物として寿命があり、この点では自由ではない。
 しかし、人間は、有限である寿命の中で、いろいろな自由を見つけ、生きてきた。そして、自由の中で遊びが生まれてきたと言える。
 自由を制限するものは、?生物的なもの、?物理的なもの、?考え方・精神に属するもの、がある。
 分類すれば次のように位置づけられる。

  ハード 内界 1
      外界 2

  ソフト 3


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

2 日本のアートは、周縁に存在する。

 アートの世界は、ヨーロッパとアメリカで展開されており、作品もそこに集中し、理論もそこで成立している。
 したがって、日本のアートには歴史があるとはいえ、周縁に存することは否定できない。このため日本のアートが欧米で受け入れられるためには、独自の工夫が必要である。
 日本のアートが欧米で受け入れられたケースとしては、次のものがある。
  浮世絵
  具体美術協会
  村上隆
 具体美術協会に参加した作家は、アンフォルメル評論家ミッシェル・タピエ(フランス)が高く評価したことにより、国際的に知られるに至ったといえる。アンフォルメルは、当時、アメリカの抽象表現主義と美術のヘゲモニーをめぐる闘争をしていたことから、日本に、当時、同時発生的に生まれていた「具体」の活動に着目した面が強いようにも思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

 アンゼルム・キーファーの成功に関し、「ボイスとは異なり、アメリカ美術―偉大なる抽象表現主義を今日的に捉えんとするキーファーの戦略もあるのだろうか。」との記述がある(現代美術ウォーホル以後 38頁)。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink