世の中の変化
世の中の変化の中で、延長線上にある変化と、根本的な変革とは区別しなければならない。
延長線上にある変化・改善ばかり目が行くようになると、足元から根本的に救われてしまうことがある。それには充分注意しなければいけない。
世の中の変化の中で、延長線上にある変化と、根本的な変革とは区別しなければならない。
延長線上にある変化・改善ばかり目が行くようになると、足元から根本的に救われてしまうことがある。それには充分注意しなければいけない。
1つか2つの少数の不安がある場合は、それは大きな不安と感じるであろう。
しかし、1万個の不安がある場合、不安がそれだけあるからといって、大きな不安を感じることはないだろう。
不安は、客観的に見ることができるかどうかが重要であり、不安の数が多いほど客観的に見ていくことになるだろう。
何かを実行するときは、いろいろなところから反対があったり、足を引っ張られたりするので、決してスムーズに進むものではない。
このことは覚悟して、前に進むべきだ。自分の展開力を高めていくべきだ。
自分の展開力を高めていくときの気持ちは、決して理想的には進まなくて、あちらこちらをぶつけて壊れながらも前に進んでいくという気持ちだ。
自分の行動は、ともすれば同じことの繰り返しになってしまい、そのことにより、ものの見方が限定され、行動まで制約されてしまう。
そのためには何をするか?
本屋さんでいえば、いつも読んでいる分野以外の分野の本が並んでいる場所へ行き、その本を手に取ってみる。
これまで見たことがない映画を見てみる。
それを行うのにある程度の時間がかかるものが良いかもしれない。ぱっと見ただけで判断せず、少し辛抱して体験してみる必要があるだろう。
YouTubeは、いろいろな人の意見を聞くのに適した道具だと思うが、同じ人の意見ばかりを聞くことになってしまうおそれもある。自分と違う意見の人の発言も聞いてみることは、無駄にはならないと思う。
考え出せばキリがないが、住んでいる家、乗っている自動車、着ている服などなど、自分と違ったものを受け入れてみる事は必要だ。
意見が対立したまま平行線であったり、場合によっては罵り合ってしまっているのを見ることがある。
このことはどうして起こるのか?
それぞれの人が、自分とは違った体験をせず、自分を拡張して柔軟に物事に取り組んでいないことが原因だと思う。
物事を進めるときは、大事なことからストレートに始めること。
常に多くの選択肢を持つこと。
こうすれば比較する中で気がつくことがいろいろあり、感情的にならないで済む。
多くの選択肢を持つためには、質問であったり疑問を持つことによって、コミュニケーションを図ることが必要となる。
自分のやり方にこだわるあまり、その選択肢しかないと、相手から別のことを言われたときに、つい感情的になってしまう。これは人生にとって非常に自分の損害となる。
ある期待が起きると、その期待することが実現することを待ち遠しく感じるようになる。
しかし、本来ならば、その期待が実現するまでに、何をしておかなければいけないかを考えなければならない。
ものを次の世代に引き継いでいくためには、集中して保管する場所が必要だ。
集中させることにより、他のものと比べることができ、調べることもできる。
ものは、その時代を反映している。また、それを入手した人の状況を知ったとき、そのものから、その人の気持ちを推測することが可能となる。
時流に合わなくなった大きなものは、処分していかざるを得ない。
低いテーブルの付いたソファーのセット
テレビ台をつけた飾り棚
見てくれだけであったり、使いにくいものは、残すことはできない。
問題は、ご先祖様が購入した人形等の物品だ。
ご先祖様が集めたという点で、後世に残す価値があるかもしれないと思うと、段ボール箱にでも入れて保管することになる。
保管するスペースがある程度あるので、このような形で保管し、後は子孫の判断を待つことにしたいと思う。
結局、ものとは一体何なのか、考え込んでしまう。
趣味や何らかの実用で集めたものは、自分1代限りでしか利用できないのだろうか?
このような悩みが出てくるのは、ものについて、収納場所と展示場所をきちんと決めていないためだと思われる。
収納場所が維持されれば、子孫もその物を保管することができるだろう。
展示するかどうかは、それぞれの人の趣味の問題があるので、すべてを展示に回すことはできないかもしれない。しかし、自分の趣味だけでなく、ご先祖様の趣味と考えて展示してみることはあっても良いと思う。
ネット上での議論を見ていると、先祖から残されたものをどうするかと言う議論はあまり見られない。せいぜい写真をどうするか、先祖が個人的に使っていた財布などをどうするか、といった議論くらいだ。
このことは、先祖から残されたものがあまりないことが原因としてあるだろう。スペースの問題があって、多くの場合、使われなくなったものは処分される。
したがって、これから代々続いていこうと考える一族では、物の残し方は、自分たちで考えていくしかない。
ご先祖様が残した物品については、それを集約して、よく見ることによって、感ずるところが出てくるものと思われる。
使えるものについては、どんどん使い、使わなくなれば、集約した保管場所に戻すというやり方で進めていけば良いと思う。
壊してしまったときは、処分しても良いし、将来補修することも考えて、壊れたまま保管しても良い。