B4 美術と自分のビジネス

 自分のビジネスが成功する中で、美術品にめざめて、コレクションが始まるということは、よくあることだと思う。
 コレクションが進めば、美術館の建設に至る。
 大原美術館
 足立美術館
 大塚国際美術館
 山崎マザック美術館
 こうした美術館は、美術をサポートしてきたといえるだろう。
 (もちろん、美術に投資したという面もあるのかもしれない。)
 しかし、美術と自分のビジネスは別物であるというけじめは必要だろう。上場会社であれば、株主の目線に立つ必要があり、ビジネスに関係のない美術品の収集は、個人のものとして、分離を求められるだろう。美術そのものを扱うことを自分のビジネスとする場合は別として、世の中では、美術とビジネスとは別物と考えるのが一般のようだ。
 しかし、美術の側からは、ビジネスと全く別物とするのではなく、大いに関係づけることを工夫する必要があるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

B3 美術作品の運命

 今日、美術作品は、夥しい量となっており、これからも止むことなく作り続けられる。
 昔のものは、現代に比べれば残っている量は少なく、記録という点でも貴重とされ、保管を続けられるのだろう。
 評価の定まった大家の作品も、高価なものとして保管を続けられるのだろう。
 楽曲は無体のものであり、その演奏もデータとして場所をとらないで保管ができるが、美術作品の場合、物であり、保管の必要がある。
 ただし、物であったとしても、平面であれば写真などによりデータとして保管ができるし、立体であってもデータとして保管ができ、データにより復元ができる時代になったのかもしれない。
(この点はオリジナルとコピーの問題として論じられる点である。)
 それにしても、美術作品の場合、物として保管しないといけない点があることは、否定しがたいように思う。
 こうした美術品を保管する場所として、美術館があるのだろうが、保管スペースに限りがあるだろう。
 美術品の保管者から美術館に寄贈されることも多く、美術館としても手に余ることがあるとも聞く。
 美術館としては、所蔵する作品を、何らかのポリシーで限定し、その余の作品は広くオークションに出し、好きな人が所持することになるのかもしれない。
 この方が美術作品の相応の値段が明確となり、おそらく流通価格は安くなるのではないかと考えられ、日本が成熟した文化国家となるためには良いことなのではないかと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

B2 美術のダイナモ

1 美術の展開の仕方は、人間の本性に鑑みるならば、先行者に対して乗り越えたいという美術家の心情に基づく。
  乗り越え方としては、全否定であったり(ダダ)、差異を強調して新現性を打ち出すことであったり、する。
2 美術家の動けるスペースは、具象と抽象の間にある。
3 鑑賞者の側でのとらえ方も、具象と抽象の間でのつかむポイントの差により、異なってくる。
  具象と抽象の間でのつかみ方も、誤解に基づく違いが生ずることがある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink

B1 美術は美術だけの世界か。

 美術を美術の世界だけでとらえることは、おそらくおもしろくないと思う。
 美術を、美術以外の全ての世界とのかかわりの中で記述することがあって良いと考えている。むしろ、そうすることによって、美術は残るものとなると思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink

A8 軽快に使える本

 大部でないこと
 構造がわかりやすいこと
 考える余地を残していること
 全てを言葉で表現しようとしていないこと
 本は、隅から隅まで読んでも良いが、読まなくとも良い。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink

A7 要素の作り出す構造体

 ある要素とある要素は、それが何であれ、無限の接点を有する。その接点を究めるだけでも一生あっても足りないだろう。
 世界には無限と言って良い要素がある。この冊子では、その中のごく一部のみを記述したにすぎない。
 取り上げた一部の要素を、章立てて記述したが、それも一応のものにすぎない。要素と要素の関係は、記述したものもあるが、読み手にある程度わかってもらえるように位置づけたにすぎない場合もある。私自身が要素と要素の接点を分析・理解したものではないため、私の気がつかない関係性もあるだろう。
 要素と要素との接点は、柱と梁の関係に例えれば、それは1つの建物のような構造をつくるかもしれない。しかし、柱も梁もごく細いものかもしれないので、石上純也の作る建物のようだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink

A6 リンクされた構造

 全ての事象・知見は、全て関連づけられ、リンクされた構造にある。これを1つの直線に落とし込んで説明することは、きわめて困難であり、かえってわかりにくくなる。映画や音楽のように1つのラインに位置づけるのではなく、自らがリンクされた構造の中を動き、読みとり、構造として理解する道を選びたいと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink

A5 成果を生み出す道筋

 自分なりの基本的スタンス(考え方)(第1)を持ち、道具(第2)を見つけたならば、そこから仮説(第3)を立て、自分なりに判断・表現する(第4)というのが、成果を生み出す道筋だと思う。第1から第4までのものは、相互に関連があり、前のものが後のものを決定する関係だけではなく、後のものが前のものに影響を与えることもある。また、第1から第4までのものは、厳格な区分があるものではなく、その位置づけは、色々だろう。
 理解に役立つ一応の道筋として、説明するものである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink

A2 美術への無関心

 美術に対して、基本的に無関心という人がいる。
 美術を見ることはいいけれども、購入することには否定的、消極的な人がいる。
 人にはそれぞれの好みがあるのだから、どうあるべきだという議論は不要だと思う。
 しかし、美術に対するきっかけとなる教えなり経験がないことにより、無関心、否定的、消極的なのだとすれば、残念なことだと思う。
 学校教育における一般的な教え方、教われ方とは別に、私が気がついたことをまとめるつもりだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink

A1 美術の起点

 時空を超えて、人間の作品づくりに向けた精神的所作をまとめてみたい。
 それはどこまでも仮説の域を超えないものかもしれないが、1つの見方として参考にしてもらえればうれしい。
 人間の精神的所作の流れを見れば、自分が悩んだときに、立ち返る場所もわかるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月29日 | Permalink