日本の未来

1 日本に悲観的見方がある。
(1) 日本は、人口減のため需要は減り、成長できない。
(2) 国の借金が多く、日本国の財政は、いずれ破綻し、そうなれば円の価値は暴落する。
(3) 日本は勝ち組と負け組に2極化し、中間層が失われ、美徳も崩壊している。

2 しかし、他方、日本の良さを認める見方もある。
(1) 治安が悪くなっているという見方もあるが、依然として安全な国である。
(2) 食品、環境の面でも、世界的に見れば、日本はクリーンな国である。
(3) 日本は、文字の記録が残るものでも、2000年近く歴史のある国であり、すぐに滅亡するものでもない。

3 日本の未来をどのように見るかにより、今どうするのかについても意見が分かれる。
「日本の成長には限界があるのだから、日本以外の成長国へ出て行き、ビジネスを確保すべきだ。円高ならば、なおさら出て行くチャンスだ。」という意見もあるだろう。
「若者は、留学を希望せず、内向きだと言うが、大部分の日本人は日本での生活を望んでいる。阿倍仲麻呂(奈良時代)の歌を見ればわかるように、皆、昔から日本に戻ることを望んでいる。」という反論もあるだろう。

4 私が日本の未来をどのように考えているかについて、ここでは述べない。
 しかし、ビジネスが国際的な展開をし、人の移動も広くなった現在、ファミリーとして日本だけで生きていくことはできないだろう。世界は、豊かさを求めており、これまで発展途上国と言われた国も成長をめざしている。
 この結果、均一化はさらに進んでいるように思われる。その中で、日本の良さをどこに見い出し、それを広めるのかが求められるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年10月26日 | Permalink

将来を考えるきっかけ

 後継者(子・後輩)が、働き始めたり、結婚して家族を作ったとき、人は、自分は先達(せんだつ)としてどうあるべきかを考えると思う。
 こうしたことを体系的に行うことが大事であると考える。そのためには、過去から将来に向けて年毎に区分した時間軸をとった年表を作り、各年ごとの家族の年齢や行事などを記入してみると、各年ごとの家族の状況がイメージできるだろう。
 そして、基本的事項を、この年表に記入することにより、将来を考える資料となっていくだろうと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年10月01日 | Permalink

子は親の言うことは聞かないものだ。

 子が親の言うことを聞かないならば、聞くように断固とした方法をとるべきだと考える人もいるかもしれないが、私なりに見たところ、あまりうまくいかない。
 よく、子供の勉強を親が見て教えるということがある。我が家では、これはうまくいかず、第三者に任せるしかなかった。その方が親子関係は良かった。
 逆に「うちでは、子は親の言うことをよく聞きますよ。」と言う人もいるかもしれないが、なぜ言うことを聞くのか、注意してよく観察するべきだと思う。

 自分自身、親のやり方を批判的に見て、自分のやり方で今日に至っていると感じているので、子も自分と同様に進んでいっても不思議はないと思う。
 したがって、子は親の言うことは聞かないという前提で、親はいろいろ考える必要がある。親のねらい通りに子がなれば、それは親がうまいということだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年09月16日 | Permalink

中高一貫教育の是非

 中高一貫教育は、大学受験に向けた体制として評価されてきたものと思う。
 ある程度の能力のある生徒を集め、6年間のカリキュラムを前倒しで進め、最終年は受験に向けた万全な準備をすれば、相当な成果は出るだろうと思う。
 
しかし、日本の一流大学と呼ばれる大学に入学することの意味は、各家庭ごとに考え直してみるべきだろう。
 大学に入学すること自体ではなく、そのプロセスで身についたガッツの方が意味があるのではないかと思う。また、大学受験で身につけた能力は、本当に使えるものなのかも検証されるべきだろう。自分の経験で振り返ると、文章作法やノートのとり方といったものは役立っていると思うが、コミュニケーションのための英語という点では課題が大きいように思う。

 逆に、中高一貫教育の難点は、中学受験があるということである。
 小学校高学年から中学受験のために夜遅くまで塾に通うのは、子供の健康面で弊害が大きいように思う。
 


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年09月07日 | Permalink

日本の大学をきちんと出た方が良いか。

 今の社会では、学歴で判断することはよくあると言える。
 また、学歴で判断できる要素も十分にある。例えば日本語の正確な文章は、学歴と相関関係が高いと思う。
 日本の大学を卒業することにより、自分の立ち位置を明確にできるという意味もあるだろう。大学ごとに結束を強める機会も多い。
 友人関係という点では、大学で得られるものは非常に多いと思う。

 このように考えてくると、日本の大学をきちんと出ることは、意味があることだと思う。
 しかし、それが全てかと尋ねられるならば、そうではないと思う。むしろ、自分にはないキャリアに憧れを持つ。
 このように述べると、結論があいまいに感じられる方もあるだろうが、いろいろな道があるということであり、それぞれが成長しながら、自分の道を進むことが大事だと考えている。どの道が、より幸せかとか、より楽しいかという判断ではなく、状況に応じて進んでいくということが大事だと言いたい。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年08月30日 | Permalink

高校生時代の新しい取組み

 留学を検討することは別に述べたが、それ以外にも考えるべきテーマはある。
 日本語の理解という点では、高校生時代は、難解ではあるが論理展開や視点のすぐれた文章に取り組む時期だろう。
 難解な文章が良いとは思わないが、難解ではあっても避けてはいけない文章もあると思う。
 いろいろな文章に取り組む中で、自分なりの言葉の使い方、展開ができてくるだろう。
 ただし、日本の国語の授業は、文学的要素を重視するからかもしれないが、特殊な文章を対象とすることが多く、ビジネスの中で使われる標準的な題材が少ないと思われる。このため簡潔で正確な文章や、論理展開のきちんとした文章を書く訓練が、正面から取り組まれていないように思う。こうした訓練は、各自が自分でやるべきこととされているように感ずる。
 いろいろな人が社会にいる以上、読む文章は多様となる。しかし、書く文章については、少なくとも文章作法を系統的に教えるべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年08月19日 | Permalink

高校生時代は、もっと広い世界を見ても良いのではないか

 高校生交換留学プログラムが、財団法人AFS日本協会によって運営されている。
 「高校生という時期は、言語取得だけでなく、新しい環境に容易に適応できるだけの柔軟性を備えた、一生のうちでも限られた特別な年齢」であり、「交換留学1学年間の体験は、大人になってからのどんなに長い海外生活よりも、その国の暮らしや文化を理解するのにきわめて有効である」とされている。  実際にAFSで交換留学された人の話を聞いても、その人の人生に大きな影響があったことは間違いなく、その体験は貴重であり、有益だと思われる。
 したがって、高校生時代の留学は、十分に検討される必要があるだろう。交換留学という1学年間にするのか、高校卒業まで視野に入れるのかは、その後の大学生活も考えて決められる必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年08月17日 | Permalink

学生時代の留学

 留学を扱った書籍によると、留学のスタイルとして、交換留学(1学年の間)と私費留学(期間は自分で決め、卒業まで予定することもある。)がある。
 留学については、多くの書籍があり、留学の効果についても論じられている。

 しかし、職業選択との関係まで踏み込んだ内容は少ないように思われる。また、採用する企業の側から見た留学のとらえ方についても、十分紹介されているとはいえないように思う。

 これは、日本では、留学はまだまだ少数者の生き方であり、留学の入口の議論が多いからだろう。
 日本の企業の活躍の場が国境を越えて広がり、日本企業の構成員も日本人だけでなくなり、企業の中でのコミュニケーションも日本語に限定されなくなると、学生時代の教育のあり方も当然に変わってくる。日本人も、日本企業に就職するだけでなく、世界中の企業が就職の対象となるならば、なおさらであろう。

 投資の世界では、日本にいても、日本企業だけでなく、世界中の企業の株式を買うことができる(もちろん制約があるが。)。お金は、国境を越えているということである。
 人も、国境を越えて生活するようになると、飲食物、サービスなども、日本以外のものとなる。そうなると、色々な物、サービスを世界的に比較することになり、教育についても同様に世界的に比較することとなる。
 これまでの日本の定番を見直すことも考えてみるべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年08月05日 | Permalink

自分の取り組んでいることの体系

 私が何に取り組んできたか、今、何に取り組んでいるかは、私の席に座り、パソコンを立ち上げ、机のまわりの状況を見てもらえば、概要がわかるだろう。 これ以外の現場も見てもらわないと理解されないかもしれないが、私の席に座れば、概要を知ることができるだろう。 

パソコンを立ち上げ、?作成した文書をどのように位置づけ、保管しているか、?インターネットで何を継続して見ていたか、を見るならば、自分の取り組みの内容がつかめてくる。

机のまわりの棚を見れば、?どのような書籍が、どのように並べてあるか、?書籍以外に何を保管しているか、がすぐにわかり、関心の広がりがつかめてくる。

パソコン、机のまわりは、基本的に体系がわかるように並べているが、それは自分のためである。しかし、将来、誰かが、自分の跡を見るとき、自分を理解し、関心をもってほしいためでもある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年07月29日 | Permalink

ロックフェラー家の信託

 ロックフェラー回顧録(デイヴィッド・ロックフェラー 1915年生 新潮社 415頁)によると、次の記載がある。

1 ジョン・D・ロックフェラー(著者の父)は、1952年、著者の子供たちが、将来必要とする資金を準備するために撤回不能信託を設立した。

2 著者の父は、1934年、著者とその兄弟たちのために信託を設立しており、著者とその兄弟たちは、その信託から収入のほとんどを得ている。

3 著者の父は、1952年信託の設立前に、信託をどういう構成にしたいか、著者に尋ねた。

4(1)著者とその妻は、子供たち1人1人に適度な年収(開始時の21歳では5000ドル)を受け取らせ、30歳になるまで毎年金額を増やしていくことにした。

 (2)30歳になったら、各自が信託から得られる収入を全額受け取ることにする。

 (3)21歳に達してからは、受託者の承認を受ければ、各自が信託の元本を最大50パーセントまで引き出せる。 

 (4)著者とその妻は、上記の備えと父の寛大さのおかげで、子供たちが、大人になったら独立した人生を歩み、自分自身で最善の資産配分を決定できるようになると、考えた。


 この記載には、興味深い点がある。 

 孫に適度な年収を受け取らせるにあたり、21歳を開始時にしたこと。 

 孫が30歳になったら、全額受け取ることにしたこと。 

 孫が21歳から29歳までは、50パーセントを引き出せるが、受託者の承認を必要としたこと。

 祖父は孫のための信託設立にあたり、父に相談していること。 

 祖父(父母)は、孫(子)に対して、30歳を超えて、その財産管理をしようとしていないのであり、孫(子)が独立した人生を歩み、資産配分も自分自身で決定できるようになることを望んでいることは興味深い。 また、信託の全体が不明なので、不確定であるが、さほど複雑な組み立てにしていないところも面白い。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年07月21日 | Permalink