親は子の職業を決められるか。

 私は、親は子の職業を決めるべきではなく、また、決めることはできないと考えている。子が職業を決めるにあたり、何らかの影響を与えることすら、慎重であるべきだろう。

 自分の職業は自分で決め、自分で切り開いていくという原則は堅持されるべきである。
 したがって、親の職業が成功した企業体となっているからと言って、子にその「承継」を求めるべきではない。現在成功しているからと言って、未来は不確定であって、現在の成功で子をコントロールするべきではない。「自分で決め、自分で切り開いていく」という点に、親は、目を配るべきだろう。

 子から職業についてアドバイスを求められた場合、自分の経験や意見を語ることになるだろうが、親が子に代わって、親が意見した職業の世界に入っていくわけではないから、答え方も自然に決められていくことになるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年03月09日 | Permalink

キャリア・プランのポイント

 自分の職業を見つけるまでの年齢―28歳
 仕事で何らかの実績を上げる年齢―35歳

 山﨑元著「会社は2年で辞めていい」76頁に、明確な見方が示されていて、参考になる。

 自分のケースで考えてみると、弁護士になったのが26歳(1987年)、独立したのが29歳である。
 弁護士になるまでに世の中を広く見たわけでもなく、あまり考えなかったため、迷いもなく、自分の職業を見つけたので、その分早いのかもしれない。
 当時は、企業家になるにせよ、何らか独立して仕事をするのであれば、30歳までには独立した方が良いという話を聞かされていた。その根拠がどこにあるか不明であるが、30歳代に自分の裁量で仕事をし、もまれることが必要であると考えるならば、35歳に向けて、仕事で何らかの実績を上げることが必要とする考え方と近い。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年02月23日 | Permalink

子供の社会化

 日本の乳幼児は、欧米との比較で、母親と共に過ごす時間が多いことが指摘されている。
 ところが、最近の日本では、必ずしも、そうでない母子がいて、乳幼児期に、本当に密な情緒交流がなされないことが問題となって現れていると考える人がいる。密な情緒交流があることによって、攻撃性や不安の点で、日本の幼児は、怒りっぽくもなく、こわがりでもなく、非常に周囲とうまくやっていくと指摘されている(正高信男著「ケータイを持ったサル ?『人間らしさ』の崩壊?」20頁)。
 しかし、母子密着型の子育てにも弊害があることが指摘されている(同26頁)。日本では居心地のよい母子密着状態が延々と継続するため、子供は、社会的な交渉が少なくなり、子供の社会化に悪影響を及ぼすというものである。
 たしかに、アメリカ社会を経験した人の話をきくと、アメリカでは、大学生になれば、子供は、男女を問わず、両親から独立して生活するのが当然という感覚がある。学費も、子供が自らアルバイトをして稼ぐのが当然という感覚もある。
 これに対して、日本では、親元から通学できる大学の場合、親元から通うことも多い。アルバイトの点は、大学の授業よりもアルバイトをしたいという学生も多く、アメリカとの差はあまりないようにも思われるが、その精神は大きく異なるのかもしれない。
 乳幼児期から大学生の時期まで、親子の距離をどのように持つかは、改めて考えてみるべき問題であり、実行が伴う必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年02月20日 | Permalink

人生移行の停滞

正高信男著「ケータイを持ったサル ?『人間らしさ』の崩壊?」中公新書30頁

 自分のこれまでをふりかえってみて、交遊関係が移行することは気がつく。
 これまで交遊のあった人全てと交遊を続けることは、まず、できないことだろうと思う。進学、就職、起業の中で、付き合う人は変化していく。この変化は、人との別れでもあり、さみしい一面もあって、昔からの仲良しは、いつまでも続いてほしいという願いにもなる。
 しかし、自分の活動範囲が変化することにより、自分は成長していくと考えられるし、また、自分が成長するためには、自分の活動範囲を変えていかなければならない。
 正高信男氏は、久保田万太郎の句である「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」を示し、「ともにいろはを学んだ竹馬の友も、やがてはちりぢりになっていく、さみしいけれどそれが人間の『健気』(けなげ)というものだ。」ととらえている。
 この『健気』(けなげ)という点こそが、人の生き方としてポイントだろうと感ずる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年02月12日 | Permalink

子孫(後輩)に残すものの要件

 子孫(後輩)にとって管理しやすいものであることが大前提だろう。
 父の会社は、管理しにくいのが一般である。
 大きな家は、維持にコスト(修繕費、固定資産税)がかかる割に、扱いにくいし、喜ばれない。子孫は、自分と趣味が違うし、もらった家は感激度は低い。
 遠方の不動産は、子孫(後輩)でなくても管理しにくい。
 上場株は、管理しやすいものだと個人的には考えるが、日々の動きが気になるようだと管理しにくいものとなるだろう。
 墓、仏壇となると、話題にするだけでもバチ当たりかもしれないが、考えてみるべきだろう。先祖を想えば、多少の不便は覚悟すべきだと言えるだろうが、子孫(後輩)は自分と同じに考えてくれない。
 蔵書は、その本が好きな人には宝の山、好奇心の遊ぶ場となるだろうが、移動は大変である。
 美術品は、その価値がわからないと苦痛となるだろう。
 写真は、人によるだろうが、捨てにくい。しかし、量が多すぎると、とても管理できないし、何の写真かも、時間が経過するほど、わからなくなる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年11月11日 | Permalink

時間の経過の中で1人の人間を考える。

 最近、風に飛ばされて、拾いにくい所に落ちた洗濯物を、毎日のように見ている。白い物もだんだんと土の色になり、形もくずれ、小さくなっていく。時間の力は偉大であり、誰もコントロールできない。全ては自然に還っていく。
 人間を構成する細胞は、一定の時間の経過で死ぬと聞いたが、構成要素はどんどん替わっていくものの、その人本人は死亡するまで、別人となってしまうものではない。(正確に言えば、その人本人は変わっていっているのであろうが、別人と言えるほどの変化ではないということだろうか。)
 人間を構成する細胞と同じように、会社・組織を構成する人・物は変わっていくが、会社・組織は継続していると考えるべきなのだろう。人間と会社・組織をパラレルに考えて良いのかどうか自信がないが、直観的には、なんとなくわかる気がする。
 このように考えてくると1人の人間の位置づけは小さく感じられるが、過大視するよりも健康的だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年11月04日 | Permalink

家族の心情

ファミリーのことを考えるとき、家族の心情にあった判断をすることは、必要だと思う。

ご先祖様に「よくやった」と言われて、ゴールしたい。
子孫の活躍ほど、うれしいものはない。
こういった気持ちは、大事にしたい。

しかし、「兄弟は、公平に扱いたい。」「兄弟は、公平に扱われるべきだ。」という考え方は、検討が必要だろう。
昔、相続で、兄弟が田を分けることを、「たわけ」といって、たわけ者のすることと警戒していたと聞く。

家族の心情は、尊重するものの、誰かが、合理的な判断をしなければいけない場合があると考えるべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年10月16日 | Permalink

人生の目的とは何か

 人生は、祖先から受け継いだDNAの本領を発揮させることである。表現の仕方が科学的に正確かどうかはわからないが、感覚としてとらえていただきたい。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年10月09日 | Permalink

計画実現のための法的スキーム

 計画実現のための法的スキームとしては、次の方法を選択し、組み合わせることになる。
 1 規約
 2 契約
 3 信託
 4 遺言

 具体的には、会社設立(法人化)、会社分割、種数株の発行、持株会社化など、法務面、税務面での検討を行ないながら、計画する必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年10月02日 | Permalink

ファミリービジネスの観点から、離婚をどのように考えるか。

 離婚を考える前に、夫婦間の愛情、親子間の愛情について、十分考えるべきだ、というのが私の実感である。
 民法の離婚原因として、「不貞行為」が第1に記されている(民法770条)。

  1 配偶者に不貞な行為があったとき
  2 配偶者から悪意で遺棄されたとき
  3 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき
  4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき
  5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき

 立法担当者が、どのような価値判断で、このような順位を定めたのか、私は、詳しく検討したものではないが、私の実務経験上の感覚からは相当にずれていると言わざるをえない。

 離婚を考えるべき状況
  1 配偶者からの暴力が一方的に連続するとき
  2 悪意の遺棄
  3 配偶者の生死が明らかでないとき(3年を待つ必要はない)
  4 強度の精神病で回復の見込みがないとき

 離婚を考える前に今一度立止まって考えるべき状況
  1 不貞行為
  2 浪費

 一般的には離婚を考える状況にないが、本来、離婚を考えるべき状況(また、離婚を認めるべき状況)
  1 夫婦間、親子間のコミュニケーションの欠如・不足
  2 思いやりの欠如・不足
  3 家計費(婚姻費用)を負担しないとき


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年09月03日 | Permalink