不満・不安はどこから出てくるか?

多くの人は、自分の理想との間で格闘・葛藤している。

何もすることがなくて、不満・不安が生じる。

多くを獲得した人を羨み、自分にそれがないことから、不満・不安が生じる。
 しかし、例えば、コレクターのように美術品を多くを獲得したとき、それを見せることに満足感が生じるのかも知れないが、1つ1つの美術品の意味をしっかり理解していなければ、単なる見栄でしかない。
しっかりした理解が、本来の満足だと思う。

このことは、書籍に切り替えると、もっと分かりやすい。
現時点で流通・販売されている世界中の書籍を集めても、特別な本でない限り、その金額は、知れているだろう。
その金額を出して、世界中の書籍を集めてみましたよと、陳列してみても、おそらく意味はないだろう。
その人が書籍の中身を理解しているのか、他の人が書籍を見ることができて役立てることができるのか、などが問われるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月13日 | Permalink

楽しみを掘り出す感覚が必要だと思う。

楽しみは、すぐに見つかることだと考えていた。すぐに見つからなければ、楽しみとはいえないと考えていた。
しかし、自分の知らない楽しみを考えると、掘り出していかなければ見つからないだろう。

それでは、楽しみをどのように掘り出せるのだろう?
人の話、何かの記事が、きっかけということは多いだろう。

しかし、こうしたきっかけは、単発で終わる可能性が高い。
やはり、きっかけを集積していく方法を自分なりに見つけるといいのではないかと思う。
簡単な方法としては、ノートでも何でも、そこに記録しておくこと。そのノートを読み返してみると、何か気がついたり、他のどこかとつながることがあることに気がつく。こうしたことも記録する。
蓄積は、徐々に増殖するだろう。

そのうちに、気がついたことの全体をまとめてみようとすると、抜けている部分があることに気がつく(部分解から全体解へ)。

少し抽象的とお感じかもかもしれないが、部分と全体を行き来すると、大きな楽しみが見つかる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月10日 | Permalink

上場会社の役員報酬は、同業会社で比較してみても、ずいぶん差がある。

各人別の金額までは分からなくとも、人数割で平均を出すことはできる。
コーポレートガバナンスコードでは、取締役会が経営陣幹部・取締役の報酬を決定するに当たっての方針と手続の開示・公表が求められている。
報酬を決定するに当たっての方針と手続は、デリケートな問題であり、各会社は腐心するところだろうと思う。

同業会社で比較して差があることは、今後どうとらえられていくのだろうか?
報酬をどのように決定するかは、株主が判断する問題だとは思うが、いろいろな開示が進む中で、株主でなくとも、すべての会社について、少なくとも平均では知ることができる。そこで判明する差について、どのようにとらえられることになるのだろうかは、気になるところである。

平均報酬の一覧は、すでにどこかにあるのかもしれないが、その影響は大きいと思う。

いわゆるサラリーマン経営者とオーナー的経営者とで比較することができ、そこには差が見つかるだろう。

すでに歴史もあり、蓄積が大きな会社と、そうでない会社とで、どのように考えるべきかは問題だろう。

アメリカ等の海外の経営者との比較は、新聞でも報じられているが、日本人経営者の中での比較は、あまり論じられていないように感ずる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月05日 | Permalink

整理のできない人の利用スペースを見ていると。

物の量が保管スペースを上回ると、雑然とする。
多くのアイテムを利用しなければならない場合、スペースは十分必要だということはある。

しかし、多くの雑然とした状況は、同じものがあちらこちらに散らばっているだけということが多いと思われる。
同じものを集めてみると、種類の数は、それほどでもないことに気がつく。
むしろ、なぜ、同じものを、狭い範囲に、いくつも散らばらせないといけないのかと、不思議に思う。多くの場合、同じものを散らばらせることは、無駄だ。

整理のできていないスペースは、共同作業ができない。ここが一番の問題だ。
何らかの作業を、自分一人で抱え込むということは、よくあることだが、その人は、忙しいことに満足?して、無駄に同じものを集めてしまうことには注意するべきだ。
いつでも共同作業ができるように、気をつける必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月03日 | Permalink

近時、根をつめて作業をすることが、少なくなった。

若い頃は、根をつめて作業をする必要があると考えていた。
しかし、根をつめて作業をしても、何か自分に残るかと考えると、必ずしも良いものが残るものでもない。

根をつめる作業は、網羅的に何かをしたいときに出てくる。
たとえば、場合分けをして考えるとき、分ける場合は、網羅的にする必要があると考えるので、根をつめることになる。

しかし、何かを1つ実行しようと考えるときは、楽に考えて実行に移す必要があるだろう。
最初から根をつめていては進まない。

何かを進めるとき、その全体をとらえ、手順を追って進めることを否定はしない。
しかし、論理的には、手順として最初に出てくるものが、これだからといって、それから始めなければいけないと考える必要はないと思う。それが魅力的なテーマでなければ、最初にそれを持ってくることは、疲れてしまうことにもなる。
 特に、相手がある仕事の場合、相手に興味を持ってもらえないことになる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年03月27日 | Permalink

他人の評価から離れる。

SNSで出てくる「いいね!」の数、友達数、フォロワー数、アクセス数などの評価を重視する考え方がある。
 こうした数字を利用して、新しい評価基準を打ち出すアプリを作る人もいるくらいだ。

これに対して、「老後は銀座で」山崎武也著(154頁)に書かれている、「高級かつ高額なために話題になっているところには、安易に行かないことだ。(中略)評判を聞いてから、多分何度も行くことになるだろうと推測できて初めて、足を運んでみる」という考え方がある。

行過ぎた評価に対して、自分はどのように対応するかは、いつも難しい。
 投資であれば、他人の評価が高いため、評価額が際限なく上昇していることは、いくらでもある。
 それに乗った方が儲けやすいのは事実だ。しかし、いつそれから降りるかも同時に問題となる。

 美術品の高額な落札価格が話題になる。
  自分は、とてもそのような値段で買えないので、関係のないことであるが、そのような価値があると考えた人は、そうすればいいことだ。

他人の評価から一切離れることも考えるべきだろう。
 自分が好きなものを選んで生きていく道は、落ち着けると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年02月14日 | Permalink

もっと日本を知る必要があると考えている。

「狭い日本、そんなに急いで どこへ行く」という標語があったが、日本は、陸地だけに限定しても、狭いものではない。自分が行ったことがない所は、いくらでもある。

まして、深く理解したかといえば、とてもそうとは言えない。

自分の関心を振り返ってみると、温泉、巡礼、美術、陶磁器だ。
これを立体的に組み上げていくと、自分なりの日本の理解が深まると思う。
 関心が広がるに連れて、立体化する。

巡礼は、信仰の対象であるが、同時に、その時代の文化・技術の中心であったと思う。
しかし、現在の寺は、ご利益(ごりやく)という曖昧な目的は残されているが、時代の文化・技術の中心ではない。
 この点で、巡礼の意味を明確にとらえることは難しくなっている。歴史の視点で見るということだろうか。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年01月12日 | Permalink

社会は、道路を走る車の流れで説明できる。

複数車線を、多くの車が走るとき、次のような車が出てくる。
 前の車との車間距離を不相応に広くあける車
 車線を無理に変更して、事故を起こしたり、起こしそうになったりする車

前の車との車間距離を不相応に広くあける車は、ゆっくり自分のペースで走りたいのだろう。「狭い日本 そんなに急いで どこへ行く」という標語が採用されるくらいに、日本は、スピード制限には前のめりだが、効率には無頓着な社会だと思う。
しかし、すべての車が車間距離を1キロメートルあけたとしたら、どうなるかを考えてみれば、明らかだ。後ほど渋滞する。恐ろしく非効率な、道路を浪費する社会となるだろう。

社会福祉でも、同じように実感することができる。社会福祉の必要性は認めるが、効率的な運用をしなければ、財政は破綻することは明らかだ。年配者だけが、自由気ままな福祉を享受すれば、若輩者は、支えきれないだろう。

したがって、社会は、効率のために、一丸となって進む必要がある。道路に例えれば、車間距離は、事故防止のために必要な距離をあけるものの、それ以上あけてはならず、アリの隊列のように進む必要がる。

車線を無理に変更して、事故を起こしたり、起こしそうになったりする車は、非効率を何とかしたいと考えるから出てくる。隊列のように進むならば、車線を変更する必要性は、出入り口近辺くらいしかなく、それ以外は、禁止してもいいくらいだろう。事故も減るだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年12月12日 | Permalink

東京と名古屋が、リニアで40分で結びつくとき、何が起こるか?

単純に考えれば、東京と名古屋が1つの街になるということ。
 地域差を考えると、仕事は東京で行い、休みは名古屋ないしその近郊に住むという形をとりやすくなる。

 人に、直接・現実に会うことが容易になる。

 人だけでなく、個性的な物・イベントを見に行くことも容易になる。

東京と名古屋のそれぞれが、そのハブとしての機能が問われることになる。
 東京と名古屋のそれぞれから出かけられる場所として、どこが魅力的かが問われることになる。

 東京からの東北・上信越への新幹線は、名古屋にとって魅力だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年10月11日 | Permalink

映画「雨あがる」

腕の良い刀の使い手で、気が優しい男が、任官しても続かず、浪人のまま諸国を放浪していく。
その妻は、そのような夫の世話をし、その姿は、日本女性の理想だ。

男は、気は優しくて力持ちだ。しかし、気の優しさが、相手(殿様)の側では、哀れみをかけられていると感じさせ、逆に気分を害することとなる。

こうしたことが起きうることは、自覚するべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年09月11日 | Permalink